帰れない家
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中三の時、お母さん亡くなっちゃって。その時ずっと██のこと思い出してた。小三の時██もお母さん亡くしてたじゃん、すごく良いお母さんだったよね。俺も凄いお母さん好きだったから辛かった。母親死ぬの、辛くない?
文面に起こすと味気ないかもしれないけれど、物凄い切実さを伴った発話だった。そのように私には思えた。それでも彼はそれを乗り越えた様相で、この感じを大人になったと人は表現するのかもしれなかった。
大人になったと言われるために、必ず通過儀礼が必要な訳ではない。それでもそれに相当するような大きな事象に翻弄されて、心や世界に向き合った結果そのように見えることは嘘や幻ではなくあるのだと思った。
最低でクソガキだった過去は確かに消えずあるが、今日意識を持つ私達はそこからどの程度分断されどの程度変われずにいるのだろう。生まれ変わることなど出来やしない、性根を叩き直すことなど出来やしないと心の底から思っているけれど、過去の自分は他人だとも私は同時に定義している。
ただ、真っ直ぐに人に感謝を伝えたいと述べる彼を見て後ろ暗い過去をいつまでも抱え続けなくたって良いよと心から思った。
私の心の動きは彼とは本質的に何の関係もない。だからこれはただ私が希望をもらったというだけのことだけれど、そういう気になったということだけ。
子供の頃とは変わったつもりでいた私は何転かしたのか知らないが変わってないと評された。ほんとは別人なんですよ、と思いつつもそう見えるなら本望だ、救いだとも思った。
性根は変えられない、本質的には分かり合えない、感情を保持するのは難しい。あらゆることに線引きしていく必要はあるだろうか。本能や思い付きでしか生きられなくてもいいと規定するそれは本能ではないだろう。スタンスの奴隷をやめるのは難しいが、その実スタンスの奴隷でい続けられるほど私の同一性は一貫していない。みんなどうやって生きているの、わからないから、まあ今幸せなら良いよと思う。思いたい。
お酒が好きで仕方ないなと同窓会では思った。
2021年よく聴いた曲
倉橋ヨエコ:あなたのあたし