親戚の結婚式があった時

20260206
親戚の結婚式 親戚の子供
レースの豊富な参列者の群れを見て己がTPOを全無視していることを悟った。古着としてはそれなりの服を着てきたつもりでいたのでオイオイと思いながら来賓席に着席した。タダのコーヒーがやたらに美味かった。
足元に子供がぶつかってきた。知らない子供だったが親戚の一種、25歳の私の膝くらいの大きさなことから3歳か4歳と推定された。私が祖母に借りた黒くてビーズの付いた小さな手提げに興味を示していたので渡した、スマホケースが幼児には不適切なコンテンツを含んでいたので引き剥がしたが待ち受け画面も同様だった。子供はいつの間にか分裂したように男子と女子の二人に分かれており、「それはダサくない?」と間に合わせの生ゴミカモミールティー茶葉の待ち受けに適切なコメントをしていた。私は「あまりにもダサいけど今はこれが最善なんや」とコメントしてスマホを渡した。女の子は数秒後に興味を失った。2世代目SEで惹けるものなど外見にはなかった。
親戚の叔母さん?大叔母さん?が「床ちゃん髪の毛三つ編みとか編み上げとかできる!?」と走り込みつつ問うてきた。昨晩己の頭で三つ編みの練習をしたのち「どうしようもねえわ」とおかっぱそのままを決意した折だったので「上手くはないけどやったことはあります」と答えた。想像通り女児に私は向かわされた。
男児の方はミニチュアみたいな灰色のスーツを着せられてシルバニアみたいだったが、女児も白いワンピース以上ドレス未満みたいなのを着ていた。細い髪の毛が3セクションに分けられてそれぞれ三つ編みをされていた、大人サイズの椅子に飛び掛かる女児を見て「こんにちは、親戚のおばさんです。もしや、髪の毛痛い?」と聞いてみた。返答は無かった。大叔母さんが「動画見せるから!手伝えることあったら言って!」と女児を差し出してきた。それを見ながら男児は別の椅子にしがみついて見ていた。
女児の髪の毛は細く柔らかかったが、私が風呂キャンした時みたいなベタつきとフケが見られる感じだった。不快ではないがちょっと心配が湧いた。全体をアメニティみたいなクシでとかし、もみあげあたりの毛を持ち上げながら「痛くない?髪の毛触られるの嫌?」と聞いた。「ンー?」という明らかに発話は出来るが内容を決めかねているみたいな返答が来た。私を大人と思っていることが分かった。大人の中にも髪を引っ張らない奴もいると伝えたくなり「痛かったら言ってね、無理にやらなくても綺麗だよ」と伝えたが自己満足だと理解もしていた。三つ編みハーフアップみたいなものを作り上げたら大叔母さんは喜んでいたが、そこに大きな飾りをピンで無理矢理付けると本人は反応が薄かった。不快なのかも、と思った。
タダの割に美味すぎるコーヒーに感動しつつ時間を潰していると新郎新婦と近い親戚の写真撮影が終わったらしく、飾りをむしり取った女児が部屋に駆け込んできた。男児は「もう勘弁してくれ」「この場から消えさせてくれ」みたいな顔をしていた。案外新郎新婦もそんな気持ちだろうなと思いながら見ていた。飾りを付け直すか女児に問うと返答が
20251204
ほとんど最期に近い日に会えたのが奇跡だったのか、意図だったのか、特性的に鈍い私にはわからない
でも多分奇跡とか偶然の類だったと思う
だからこんなに泣いている 数日前に触ったホサホサと冷たさに近い体温と己の体温が混じり合った温みが思い出せる
私にとって唯一知ってる猫で猫のイデアだった 人に優しい猫はどこか腑抜けているというか、別の何かだと思わせる野生みがあった
痒かったりもした、でもそれが触れ合いの嬉しさにもなっていた
9歳だか10歳だかの頃に出会ってくれてありがとう
引っ掻いてくれてありがとう
頭に登ってくれてありがとう
24歳の私はおまえという猫を基準に生きている
面白い猫だった
たまごサンドを食べて、パスタを食べて、若い時は散歩をしたり脱走しては帰ってきたりしていた 私はそれを幼馴染の家族らしいなと見ているだけだった
なんだかんだずっといたね
まだよくわからない 骨だけなんて ホサホサはどこ めやにもよだれも寂しいよ 居てよ
命って生きてるやつが記憶と記録でしか引き止められないんだった
私は部外者だと思ってる、ただ私が唯一知ってた近しい猫だった おまえが私を認識してたかはずっとわからない でもなんとなく名前は覚えてなくとも知らなくはない程度まで気にしてくれてた気はする 思い上がりかもだが
私の父にもすりすりしてくれてありがとうね
わからないけど多分安らかにピョンピョンしてるだろう 待ってた人もいるだろう 月並みだけどそんな言葉を並べてしまうよ
私にとっては唯一無二のおもれー猫でした 遊んでくれてありがとう
それだけだよ、トラ
写真を見ると辛くなるかと思ったが、そんなことはなかった 笑ってるところが見られたからだと思う 防衛機制に抗ってるなど所感を抱いたが多分理屈じゃないんだなと自分のスマホでも写真を探した たくさん見つかった
楽しかった
残しておいて良かった 今見返して良かった 笑って別れた
多分また泣くんだと思う 泣くべきだと思う でも笑えるのはちゃんと悔いなく見送って、愛して、感謝して、ちゃんとお別れをしてるんだと思う
何より大往生だった 年齢聞いてびっくりした 16歳
寂しいけど、貰ったものがそれ以上にあるからと言ってた
こういう友達がいて良かったよ
多分まだトラは家に居るんだと思う 猫ってなんかそゆとこあるでしょう あちこち行き来してるだろう 意味づけがなんだ 弔いは生きてる人のためにあり、感謝を深めることになる
良い別れだったと思う
20250905
スペース書き起こし
(ピアノBGM)
(トントントンとマイクを叩く音)
こういうこと、ですか?
こういうことでございましょうか?
えー、マイクが。
うん、このはずなんだけど。返しが無いんだな。
おそらく声は入っているでしょう。
えー、これは自動筆記的に話しますが。
その、さっきめちゃめちゃソシャゲをしてる背後で。3回プラスチック質の物を叩く音がしたんですね。こう、なんだ、ちょっと
こう?(音3つ)みたいな。
それで便所のノックではないし面接でもないということを思ったので、とりあえずまあ、集合住宅、アパートに住んでるんで、誰で、何?というふうに聞いたんですね。返答はなくって。
とりあえずリビングに居たので、普通の包丁を右手に持ちました。で全ての部屋に押し入って、誰で、何?ということを聞いて回ったんですけど。別に、誰もいなくて。まあ、安堵。ていうことなんですけど。ひとつ別の可能性があるとしたら、まぁ、おばけ的なものですよね。
で、私はその、斧をね、持ってるんですよ。
手斧というのか、その、まAmazonで買えるような斧ですね。斧投げっていう、アックススローイングっていう競技で使うようなものなのかな。そういうものを持ってて、それを、ね。自室から久々に出してきて、握った時の重みが、凄く、質量が、身体の一部だ、っていうふうに。久しぶりに、ああ斧馴染むなあって思った時に、おばけに対して、もし、何かの手違いで、レイヤーを間違えたのなら、2度と出ないで下さいっていうふうに、一応ね、交渉しておきました。
その、私は、願っても、どんなに願っても死んだ人に会えたことはないし、夢の中で会えた時も、それは私の心象が作った都合の良い風景でしかないっていうことを凄く思うんですね。
その、今は防衛機制で思い出せない母の振る舞いとかは、その当時の、生きている、しらふでは思い出せない温度感みたいなものも、すごい精巧に、再現されていて、本当に母親が生き返っていてそれを私は、そっか生き返ったのか、と思いながらパン屋を巡るような夢を見るんですけど。
まあ、それは脳のブラックボックスにアクセスできるのがたまたま、意識を一度落として、その脳内で記憶を構築する時間であったからこそ、その、防衛規制のために、一度表面化しないようにされた記憶や、温度や、まあ記録以外の情報。文面に起こして記録として拾えるような情報以外の全てはそこのブラックボックスに入っている。でそれにアクセスできるのが、眠っていて、かつ夢を見ている時。みたいなそういう感覚だと思うんですね。
だからまあ、上手いこと言えないんですけど、私はおばけに会う能力が無いんです。これが統合失調症とかになってくると、脳の中で生んだ像と認識能力…ええと、現実を現実として認識する能力。そういうものが混同されていって、まあ明晰夢を起きながらにして見ている。故に何を現実として良いか分からない、というようなその全ての前提条件、足元が崩れ去って、表象するものの足掛かりが全て無い状態。何を認識するにもとっかかりがない状態に堕ちていくっていくのがまあ統合失調症の症例だと思うんですけど。その中で見る幻覚とはまた異なるベクトルでその、いわゆる霊が見えるっていう人は実際に居るんだと私は思います。
だから、おばけなんてないさっていうキャッチーなタイトルを付けたのは、それは私にとっての、私の居るレイヤーにとっておばけは見えない、見得ない、なし得ないという意味でのおばけなんてないさなんですけれど。
ここでその、死者との、死者に意識があるかはまあ私も二通り考えていて。
20250904
薄々気付いていたが松屋のうまトマはしょっぱすぎる。一年前にはスルーできた事ができなくなっているのを、テイクアウトの容器に落ちる頭部の影で知った。蓋をして仕舞った。翌朝食パンに付けて食べた、悪くはなかった。なに、落ち込まなくていい。何とかなるものだ。何とかするのだ。そういう感じで記憶や気概や過去や現在の状況を上書きして、落ちた視力を無視して掛けている焼石水メガネをかけている今みたいな日々を連ねる。しかしやはり凪いでもちっちゃな風と機微はあり、それはもうちょっとしっかり塊で足元に届いた波だと思いたい。
20250828
高いところは孤独
20250825
床ずれの間に染み込める膿のかたまる隙間の
通り抜けられない皺の溝のそこに私は降りて
絶え間なく消える
時を待つる
風のない郷里に
床に
庭に
面した座敷で
内側に広がる
さよなら代謝よ
やにを吸うとも付けるとも言わぬ元白の壁の
裏側は見えず
隣接コンクリ
古い家の壊し代
生きてる人のための墓地
死んだ人のための手紙
弔いはあなたに
まだ生きるお前に
死を知らぬ俺に
知るよしのない瓦礫の上のこの全てに
隙間埋めるように生えた苔よ
どうか見つかることなく
密やかに萌えよ
悪意に関係なくあれよ
鳥よ
そうあれと
糧にならぬ祈りを携えて
20250828
家族が浅ましくなる瞬間 縋りたくなるものになる瞬間 都会で広くて高いところにいて思うこと 地面に近い家でまた思うこと
やり直したいと思う時 消せたら良いと思う時 死人の持ち物をそつなく使いこなしてしまう時 継ぐものがないとき
西日の作る斜線、遮るもの
何を思えと 感情は許可されるのかということ 感情がなければ起こらなかった過ち、避けたり理解できたり判断や納得できたこと
羅列の魅力
卑怯であること
浅ましいこと
全てを切り落としながら感傷そのものという球になったような気持ちで書きつける文章の形態からはそれが排除されていること
温度のない文章を書いているとき、私は火の球のような心象で身体でいるけど、それを文面では削げること。削ごうとしていること
何も感じないものに意味も価値もないと思いながら浅ましいより良いんじゃないかと思うこと
激怒を忘れられないこと
物悲しくてもそれだけでは泣けないこと
20250808
第三者フェチ
この人のこの話を私だけ覚えてるとか、幸せになった人を見届けるとか、そういう立ち位置の旨みを知っている。
その中で自分の人生を考えると、「支えたいと思いたいが支えるに足るには私は傷を負いすぎていてそれは消せるものではなくなんらかのケアが必要であり、しかしそれにより砕かれるプライドや価値観」とかが現れて気が狂うらしい。
20250828
透明な西日を西日と呼ぶには抵抗がある。濃いオレンジに低温で網膜を焼かれる感覚を西日と呼んでいたことに気付く。夏の長い夕方の初め、少し角度を変えた白い光が味の濃すぎる松屋の飯くらいの勢いで眼球に刺さるようなあれを西日とは思わない。
20260816
井戸を覗く時、頭蓋とその内容物は自重で暗い井戸の底へと垂れていくことを選んだらしい。人らしい眼球を備える頭蓋が井戸口を覗くような仕草をしたようにも見えた直後、その頭蓋は井戸口から細くマックのジャバラストローみたいに投げ落とされた。空気抵抗に負けてひび入りの皮膚は紙のように裂けて地面の方に取り残されていった。Gによる血液の偏りなど、頭部の質量が急速に増したような振る舞いに対応していなかった身体からは、頭蓋と脳、およびそれに付いた脊髄が骨やリンパ腺や健康だったはずの筋繊維を全て蹂躙し、頭部のフンのように元鞘の身体を蹂躙損壊せしめて頭部から飛び出して行った。中心にぶちぶちと皮膚と皮下脂肪と筋繊維が裂け始めていた。頭部に収束に加わったあり得ない引力によって全身が濡れた折り紙のようになった赤黒い滲出液を漏らすだけの組織の繋がりにはまだ生命活動が見られるらしい。それを反応と一蹴するにはリスペストが足りない気がしてくるもので
20250814
初めて能登に行った。柳田、内灘、そこらへん。
家があるということは土地があるということで、家族がいるということでもある。家族がいるとすれば先祖がいるということで、先祖がいるということは墓があるということである。墓があるなら世話する者が必要で、連綿と続く先祖代々に乗っかるようにして子供を作るよう促される。24歳のまあまあな大人が結婚したくなさに喚いているだけなのだが、実際土地に根ざさず東京で暮らしていた奴がいきなり先祖だの結婚だのを言われると刃物が出そうになる。父親は自分に都合の悪い悲しいことは全て忘れてしまう質なのを忘れていた。「私は結婚しなくてもいい?」「いいよ、したけりゃするで」という一連の会話を忘れていた。結婚してくれれば楽なのになあと言われ、かなりやるせなかった。
昨晩話した「私は精神障害者手帳持ちでADHDでアスペでそこら辺と折り合いをつけながら生きていくし、父のお前もアスペだぞ」という会話も忘れるんだろう。もう聞きたくないというのをひしひしと感じた。
家から出るのが10代の私にとってはあまりにも不可能に感じられたが、今やいつでも出ていけるようだ。
適当に就職して、ちゃちゃっとまとめて出てしまおうと思う。さすればなんとかなる。なんなら卒制を言い訳にでも…
とにかく私は家を出るぞと意気込み新たにした。
20250703
新装開店した日高屋を見渡す、壁や机やタブレット周りが綺麗になっている。おおむね間取りは変わらず、しかし裏口から入った私からすればそれもまた分からなかったので待ち合わせ相手でも探すように店舗の中腹まで進んだ。そこでもまた挙動不審に辺りを見渡し、窓際のカウンターが混みやすいのは変わってないらしいと結論付けた。一人で居座っても良さそうなテーブル席に着く。ラ・餃・チャの文面を辿ってそれがメニュー名ではなく愛称と知る。レモンサワーが少し安くなっていたので調子づいて頼む。適当に(しかし音を立てず慎重に)ツイッター用の写真を撮って本を読み待つ。酒と主食群が来る。ツイッターのために麺を伸ばすべきではないので先にラーメンを食べる。久々の日高屋ラーメンは妙に美味しかった。
隣の席に女性二人が着く。生ビールを互いに持ち、焼き鳥をつつきつつお母さん同士の会話が始まる。子供は小学生か。こういう場面で胸が絞まるのは24にもなって子供自負が抜けないからだろうか。私の母親は私が小4になる前に死んだが、死ぬ前はこんなふうに他の母親と私の見えぬところで私の話をしたりもしただろう。断ち切られた可能性の断片未満の何かを見る。後頭部の筋肉が痛む。
他愛のないとはこういうことか、実家の太い子そうでない子、パチンコする人しない人の話が漏れ聞こえる。
友達にも子供が出来たりした。レアケースだろうができたには違いない。ふくふくして笑うと可愛く、笑っていない時は互いに緊張していた。私の子供に対する心象はこんなもんだ。
書くのもなんだと思うが、伺い見ると小学生の母とは思えぬ感じだった。おそらく大学生の子供がいる。こういうことを私の父に対して思う他人もいるのだろうな。計り知れず知らなくて良いこと。日高屋のレモンサワー特有の酔いがある、アルコール由来の酔いに特有を見出せると薬物じみてくるが確実にある。単純にウォッカだからと思う。回り切る前に百均でも見る、この日記を書き始めた時が一番怠かった。本を読む時頭で並べ連ねる時はノーコストなのに打ち込むとなるとなんでこんな大変なんだ。手のひらで書きつけられる(打ち付けられる?)手軽さよりかは面倒が勝る。フリックで疲れ始めたら終わりとも思う。喧騒と小蠅に慣れ始めた頃が退店どき。居座りすぎた。
20250424
こいつは何か苦労とかしたことあるんだろうか。しけた敷布団にだらんと転がりながらスマホを握ってゲヘゲヘ言ってる四肢ある芋虫に思う。枕元の小さなテーブルには薬のシートが内容物の有無を問わずカサカサと積み上がり、アルコールの類の殻も無数に放置されている。筆箱を探そうと布団の端を漁り、飲んでいた缶をビニール袋に押し込む習性は巣穴に住む類の生き物に似ている。そいつは時折正座の姿勢でスマホを眺め、ぼたぼたと涙を垂らしながら鼻をかみだしたりするので驚く。先まで歌っていたのに。ぐずついてまた眠る。部屋に明かりは無い、ヤマダで買ってきたベッドサイドランプを除いては。それはゴミを掻い潜って畳に直に触れている。そいつの頭を叩くと光量が変化する。
そいつが部屋から出る時、ないし外界に出る時どこかに信号が送られる。それはそれを監視する目的ではなく、結果としてそうなるように設置されている機器による。その後の足取りはそいつには追えない。
そいつが酒を飲む以外に楽しげにしているのを見ることは少ない、眠っているか自分の手首や頭を触って呆然としている。そいつのことを誰もよく知らない。力や毒などは無いことだけ、なんとなく知られている。そいつはエアガンでこめかみを貫いて笑ったりしている。暑い夜に斧の冷えた金属と肢を撫でて眠ったりする。そして酒が入ればそれらをそれの四肢とか手頃なタンスとかに打ちつけて笑う、母親の遺影は私にとってとうに景色で、畢竟全ては景色で、痛みと物質による刺激で変動する感覚だけが頼りで、切りつけた皮膚が代謝を繰り返してなお赤みを失わない傷跡が観察対象で、とりあえずは生きながらえている。
20250424
空想が苦手になったのはいつ頃からだったろう。ノウハウを知ることは大いに役立つ。骨組みがあれば、原典があれば、リサーチや参照元があれば、そうやって調べ学習にのめり込むうち無から何か描けと言われても描けない気がしてきた。内から湧くものといえば痛みや苦痛とか粘性の高い液状だったが、今は体の中に均等に血液が染みているだけ。たまにポロッと何か出る時、下を向いてそれが地面に落ちていくのを待つ。気が向いた時にはそれを指に乗せてみる。枕に振り落とす。
過剰な感情の苦しさから逃れられたことは生きていく上で非常に楽。
私に書けない文章読んだとき生まれる興奮と嫉妬、うれしい輝き。
20250209
悲観や感情のコントロールを失うことは途方もない辛さを伴うのに傍目には話の通じない加害者や甘えやへたれに見えることがあり辛い。私も服薬を絶てば途端に感情の手綱を握れなくなるので人ごとでない。なので服薬で手綱を握っていたい。
感情の波は個人的なものなのでそもそも他者と共有不能なのに気付くのに平均的な年数を私も費やした、時間と衝突が生んだ疲労による諦観を成長とは呼びたくない、でも今が一番家にいて辛くない。
20250209
最近鬱が重い。動悸や息切れ、焦燥感、筋肉の緊張による全身の痛みや食いしばり、そういう身体症状が主。これの一つ一つを不思議がって辛く思うのではなく鬱の症状だと気付けるようになった。1年掛けても2年掛けても結局鬱病が完治するということはなく、最近就職にあたりやっと障害者手帳の取得に着手した。決めたのが2024年10月とか11月で、実際動き出せたのは2025年の1月末とかかなり腰が重かった。もう何一つとしてすいすいこなせるようなことがない、一度の外出になんだかんだ三日の準備期間が掛かったりする。なんとかやっているの範疇をはみ出して久しい。
ただこう暗い日記を付けるのも鬱っぽいかも。楽しいことももちろんいくつもあり、そういうことは日記に付けてないだけ。浮き沈みを受け入れつつある。受容。
20260402
特定のネットを人生二週目的な気持ちよさが得られるみたいで、見てしまう。もう性格悪くて構わない、とりあえず刺激が欲しい。この人リアルで頼れる人なんて居なそうだなとか思ってる時まだ自分は踏み外してないなと思う。
人は人に優しくされて何とか生きているのだということに気付けない人間の暴れている様は、醜くも滑稽。いい見せ物。底の外れたコップが注いで注いでと泣き喚いている。注ぐ方も注ぐ方だ、満たないからコンテンツとして長く面白がれる。よくできた永久機関。人は壊れるし、それより先に飽きが来るので永久ではない。
さて、ネットを、辞めようかな。
嘘。辞められるわけがない。こんなに楽しいものを。
