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メモなんだから

日記〜2026

 

親戚の結婚式があった時

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20260206

親戚の結婚式 親戚の子供

レースの豊富な参列者の群れを見て己がTPOを全無視していることを悟った。古着としてはそれなりの服を着てきたつもりでいたのでオイオイと思いながら来賓席に着席した。タダのコーヒーがやたらに美味かった。
足元に子供がぶつかってきた。知らない子供だったが親戚の一種、25歳の私の膝くらいの大きさなことから3歳か4歳と推定された。私が祖母に借りた黒くてビーズの付いた小さな手提げに興味を示していたので渡した、スマホケースが幼児には不適切なコンテンツを含んでいたので引き剥がしたが待ち受け画面も同様だった。子供はいつの間にか分裂したように男子と女子の二人に分かれており、「それはダサくない?」と間に合わせの生ゴミカモミールティー茶葉の待ち受けに適切なコメントをしていた。私は「あまりにもダサいけど今はこれが最善なんや」とコメントしてスマホを渡した。女の子は数秒後に興味を失った。2世代目SEで惹けるものなど外見にはなかった。
親戚の叔母さん?大叔母さん?が「床ちゃん髪の毛三つ編みとか編み上げとかできる!?」と走り込みつつ問うてきた。昨晩己の頭で三つ編みの練習をしたのち「どうしようもねえわ」とおかっぱそのままを決意した折だったので「上手くはないけどやったことはあります」と答えた。想像通り女児に私は向かわされた。

男児の方はミニチュアみたいな灰色のスーツを着せられてシルバニアみたいだったが、女児も白いワンピース以上ドレス未満みたいなのを着ていた。細い髪の毛が3セクションに分けられてそれぞれ三つ編みをされていた、大人サイズの椅子に飛び掛かる女児を見て「こんにちは、親戚のおばさんです。もしや、髪の毛痛い?」と聞いてみた。返答は無かった。大叔母さんが「動画見せるから!手伝えることあったら言って!」と女児を差し出してきた。それを見ながら男児は別の椅子にしがみついて見ていた。
女児の髪の毛は細く柔らかかったが、私が風呂キャンした時みたいなベタつきとフケが見られる感じだった。不快ではないがちょっと心配が湧いた。全体をアメニティみたいなクシでとかし、もみあげあたりの毛を持ち上げながら「痛くない?髪の毛触られるの嫌?」と聞いた。「ンー?」という明らかに発話は出来るが内容を決めかねているみたいな返答が来た。私を大人と思っていることが分かった。大人の中にも髪を引っ張らない奴もいると伝えたくなり「痛かったら言ってね、無理にやらなくても綺麗だよ」と伝えたが自己満足だと理解もしていた。三つ編みハーフアップみたいなものを作り上げたら大叔母さんは喜んでいたが、そこに大きな飾りをピンで無理矢理付けると本人は反応が薄かった。不快なのかも、と思った。
タダの割に美味すぎるコーヒーに感動しつつ時間を潰していると新郎新婦と近い親戚の写真撮影が終わったらしく、飾りをむしり取った女児が部屋に駆け込んできた。男児は「もう勘弁してくれ」「この場から消えさせてくれ」みたいな顔をしていた。案外新郎新婦もそんな気持ちだろうなと思いながら見ていた。飾りを付け直すか女児に問うと返答が

 

 

20251204

ほとんど最期に近い日に会えたのが奇跡だったのか、意図だったのか、特性的に鈍い私にはわからない
でも多分奇跡とか偶然の類だったと思う
だからこんなに泣いている 数日前に触ったホサホサと冷たさに近い体温と己の体温が混じり合った温みが思い出せる
私にとって唯一知ってる猫で猫のイデアだった 人に優しい猫はどこか腑抜けているというか、別の何かだと思わせる野生みがあった
痒かったりもした、でもそれが触れ合いの嬉しさにもなっていた
9歳だか10歳だかの頃に出会ってくれてありがとう
引っ掻いてくれてありがとう
頭に登ってくれてありがとう
24歳の私はおまえという猫を基準に生きている
面白い猫だった
たまごサンドを食べて、パスタを食べて、若い時は散歩をしたり脱走しては帰ってきたりしていた 私はそれを幼馴染の家族らしいなと見ているだけだった
なんだかんだずっといたね
まだよくわからない 骨だけなんて ホサホサはどこ めやにもよだれも寂しいよ 居てよ
命って生きてるやつが記憶と記録でしか引き止められないんだった

私は部外者だと思ってる、ただ私が唯一知ってた近しい猫だった おまえが私を認識してたかはずっとわからない でもなんとなく名前は覚えてなくとも知らなくはない程度まで気にしてくれてた気はする 思い上がりかもだが
私の父にもすりすりしてくれてありがとうね
わからないけど多分安らかにピョンピョンしてるだろう 待ってた人もいるだろう 月並みだけどそんな言葉を並べてしまうよ

私にとっては唯一無二のおもれー猫でした 遊んでくれてありがとう
それだけだよ、トラ

 

写真を見ると辛くなるかと思ったが、そんなことはなかった 笑ってるところが見られたからだと思う 防衛機制に抗ってるなど所感を抱いたが多分理屈じゃないんだなと自分のスマホでも写真を探した たくさん見つかった
楽しかった
残しておいて良かった 今見返して良かった 笑って別れた
多分また泣くんだと思う 泣くべきだと思う でも笑えるのはちゃんと悔いなく見送って、愛して、感謝して、ちゃんとお別れをしてるんだと思う
何より大往生だった 年齢聞いてびっくりした 16歳
寂しいけど、貰ったものがそれ以上にあるからと言ってた

こういう友達がいて良かったよ
多分まだトラは家に居るんだと思う 猫ってなんかそゆとこあるでしょう あちこち行き来してるだろう 意味づけがなんだ 弔いは生きてる人のためにあり、感謝を深めることになる

良い別れだったと思う

 

 

20250905

スペース書き起こし

(ピアノBGM)
(トントントンとマイクを叩く音)

こういうこと、ですか?
こういうことでございましょうか?
えー、マイクが。
うん、このはずなんだけど。返しが無いんだな。
おそらく声は入っているでしょう。
えー、これは自動筆記的に話しますが。
その、さっきめちゃめちゃソシャゲをしてる背後で。3回プラスチック質の物を叩く音がしたんですね。こう、なんだ、ちょっと

こう?(音3つ)みたいな。
それで便所のノックではないし面接でもないということを思ったので、とりあえずまあ、集合住宅、アパートに住んでるんで、誰で、何?というふうに聞いたんですね。返答はなくって。
とりあえずリビングに居たので、普通の包丁を右手に持ちました。で全ての部屋に押し入って、誰で、何?ということを聞いて回ったんですけど。別に、誰もいなくて。まあ、安堵。ていうことなんですけど。ひとつ別の可能性があるとしたら、まぁ、おばけ的なものですよね。
で、私はその、斧をね、持ってるんですよ。
手斧というのか、その、まAmazonで買えるような斧ですね。斧投げっていう、アックススローイングっていう競技で使うようなものなのかな。そういうものを持ってて、それを、ね。自室から久々に出してきて、握った時の重みが、凄く、質量が、身体の一部だ、っていうふうに。久しぶりに、ああ斧馴染むなあって思った時に、おばけに対して、もし、何かの手違いで、レイヤーを間違えたのなら、2度と出ないで下さいっていうふうに、一応ね、交渉しておきました。

その、私は、願っても、どんなに願っても死んだ人に会えたことはないし、夢の中で会えた時も、それは私の心象が作った都合の良い風景でしかないっていうことを凄く思うんですね。
その、今は防衛機制で思い出せない母の振る舞いとかは、その当時の、生きている、しらふでは思い出せない温度感みたいなものも、すごい精巧に、再現されていて、本当に母親が生き返っていてそれを私は、そっか生き返ったのか、と思いながらパン屋を巡るような夢を見るんですけど。
まあ、それは脳のブラックボックスにアクセスできるのがたまたま、意識を一度落として、その脳内で記憶を構築する時間であったからこそ、その、防衛規制のために、一度表面化しないようにされた記憶や、温度や、まあ記録以外の情報。文面に起こして記録として拾えるような情報以外の全てはそこのブラックボックスに入っている。でそれにアクセスできるのが、眠っていて、かつ夢を見ている時。みたいなそういう感覚だと思うんですね。
だからまあ、上手いこと言えないんですけど、私はおばけに会う能力が無いんです。これが統合失調症とかになってくると、脳の中で生んだ像と認識能力…ええと、現実を現実として認識する能力。そういうものが混同されていって、まあ明晰夢を起きながらにして見ている。故に何を現実として良いか分からない、というようなその全ての前提条件、足元が崩れ去って、表象するものの足掛かりが全て無い状態。何を認識するにもとっかかりがない状態に堕ちていくっていくのがまあ統合失調症の症例だと思うんですけど。その中で見る幻覚とはまた異なるベクトルでその、いわゆる霊が見えるっていう人は実際に居るんだと私は思います。
だから、おばけなんてないさっていうキャッチーなタイトルを付けたのは、それは私にとっての、私の居るレイヤーにとっておばけは見えない、見得ない、なし得ないという意味でのおばけなんてないさなんですけれど。
ここでその、死者との、死者に意識があるかはまあ私も二通り考えていて。

 

 

20250904

薄々気付いていたが松屋のうまトマはしょっぱすぎる。一年前にはスルーできた事ができなくなっているのを、テイクアウトの容器に落ちる頭部の影で知った。蓋をして仕舞った。翌朝食パンに付けて食べた、悪くはなかった。なに、落ち込まなくていい。何とかなるものだ。何とかするのだ。そういう感じで記憶や気概や過去や現在の状況を上書きして、落ちた視力を無視して掛けている焼石水メガネをかけている今みたいな日々を連ねる。しかしやはり凪いでもちっちゃな風と機微はあり、それはもうちょっとしっかり塊で足元に届いた波だと思いたい。

 

20250828

高いところは孤独

 

20250825

床ずれの間に染み込める膿のかたまる隙間の
通り抜けられない皺の溝のそこに私は降りて
絶え間なく消える
時を待つる
風のない郷里に
床に
庭に
面した座敷で
内側に広がる
さよなら代謝よ

やにを吸うとも付けるとも言わぬ元白の壁の
裏側は見えず
隣接コンクリ
古い家の壊し代

生きてる人のための墓地
死んだ人のための手紙
弔いはあなたに
まだ生きるお前に

死を知らぬ俺に
知るよしのない瓦礫の上のこの全てに

隙間埋めるように生えた苔よ
どうか見つかることなく
密やかに萌えよ
悪意に関係なくあれよ
鳥よ
そうあれと
糧にならぬ祈りを携えて

 

20250828

家族が浅ましくなる瞬間 縋りたくなるものになる瞬間 都会で広くて高いところにいて思うこと 地面に近い家でまた思うこと
やり直したいと思う時 消せたら良いと思う時 死人の持ち物をそつなく使いこなしてしまう時 継ぐものがないとき

西日の作る斜線、遮るもの

何を思えと 感情は許可されるのかということ 感情がなければ起こらなかった過ち、避けたり理解できたり判断や納得できたこと

羅列の魅力

卑怯であること

浅ましいこと

全てを切り落としながら感傷そのものという球になったような気持ちで書きつける文章の形態からはそれが排除されていること

温度のない文章を書いているとき、私は火の球のような心象で身体でいるけど、それを文面では削げること。削ごうとしていること

何も感じないものに意味も価値もないと思いながら浅ましいより良いんじゃないかと思うこと

激怒を忘れられないこと

物悲しくてもそれだけでは泣けないこと

 

20250808

第三者フェチ

この人のこの話を私だけ覚えてるとか、幸せになった人を見届けるとか、そういう立ち位置の旨みを知っている。
その中で自分の人生を考えると、「支えたいと思いたいが支えるに足るには私は傷を負いすぎていてそれは消せるものではなくなんらかのケアが必要であり、しかしそれにより砕かれるプライドや価値観」とかが現れて気が狂うらしい。

 

20250828

透明な西日を西日と呼ぶには抵抗がある。濃いオレンジに低温で網膜を焼かれる感覚を西日と呼んでいたことに気付く。夏の長い夕方の初め、少し角度を変えた白い光が味の濃すぎる松屋の飯くらいの勢いで眼球に刺さるようなあれを西日とは思わない。

 

20260816

井戸を覗く時、頭蓋とその内容物は自重で暗い井戸の底へと垂れていくことを選んだらしい。人らしい眼球を備える頭蓋が井戸口を覗くような仕草をしたようにも見えた直後、その頭蓋は井戸口から細くマックのジャバラストローみたいに投げ落とされた。空気抵抗に負けてひび入りの皮膚は紙のように裂けて地面の方に取り残されていった。Gによる血液の偏りなど、頭部の質量が急速に増したような振る舞いに対応していなかった身体からは、頭蓋と脳、およびそれに付いた脊髄が骨やリンパ腺や健康だったはずの筋繊維を全て蹂躙し、頭部のフンのように元鞘の身体を蹂躙損壊せしめて頭部から飛び出して行った。中心にぶちぶちと皮膚と皮下脂肪と筋繊維が裂け始めていた。頭部に収束に加わったあり得ない引力によって全身が濡れた折り紙のようになった赤黒い滲出液を漏らすだけの組織の繋がりにはまだ生命活動が見られるらしい。それを反応と一蹴するにはリスペストが足りない気がしてくるもので

 

20250814

初めて能登に行った。柳田、内灘、そこらへん。

家があるということは土地があるということで、家族がいるということでもある。家族がいるとすれば先祖がいるということで、先祖がいるということは墓があるということである。墓があるなら世話する者が必要で、連綿と続く先祖代々に乗っかるようにして子供を作るよう促される。24歳のまあまあな大人が結婚したくなさに喚いているだけなのだが、実際土地に根ざさず東京で暮らしていた奴がいきなり先祖だの結婚だのを言われると刃物が出そうになる。父親は自分に都合の悪い悲しいことは全て忘れてしまう質なのを忘れていた。「私は結婚しなくてもいい?」「いいよ、したけりゃするで」という一連の会話を忘れていた。結婚してくれれば楽なのになあと言われ、かなりやるせなかった。
昨晩話した「私は精神障害者手帳持ちでADHDでアスペでそこら辺と折り合いをつけながら生きていくし、父のお前もアスペだぞ」という会話も忘れるんだろう。もう聞きたくないというのをひしひしと感じた。
家から出るのが10代の私にとってはあまりにも不可能に感じられたが、今やいつでも出ていけるようだ。
適当に就職して、ちゃちゃっとまとめて出てしまおうと思う。さすればなんとかなる。なんなら卒制を言い訳にでも…
とにかく私は家を出るぞと意気込み新たにした。

 

20250703

新装開店した日高屋を見渡す、壁や机やタブレット周りが綺麗になっている。おおむね間取りは変わらず、しかし裏口から入った私からすればそれもまた分からなかったので待ち合わせ相手でも探すように店舗の中腹まで進んだ。そこでもまた挙動不審に辺りを見渡し、窓際のカウンターが混みやすいのは変わってないらしいと結論付けた。一人で居座っても良さそうなテーブル席に着く。ラ・餃・チャの文面を辿ってそれがメニュー名ではなく愛称と知る。レモンサワーが少し安くなっていたので調子づいて頼む。適当に(しかし音を立てず慎重に)ツイッター用の写真を撮って本を読み待つ。酒と主食群が来る。ツイッターのために麺を伸ばすべきではないので先にラーメンを食べる。久々の日高屋ラーメンは妙に美味しかった。
隣の席に女性二人が着く。生ビールを互いに持ち、焼き鳥をつつきつつお母さん同士の会話が始まる。子供は小学生か。こういう場面で胸が絞まるのは24にもなって子供自負が抜けないからだろうか。私の母親は私が小4になる前に死んだが、死ぬ前はこんなふうに他の母親と私の見えぬところで私の話をしたりもしただろう。断ち切られた可能性の断片未満の何かを見る。後頭部の筋肉が痛む。
他愛のないとはこういうことか、実家の太い子そうでない子、パチンコする人しない人の話が漏れ聞こえる。
友達にも子供が出来たりした。レアケースだろうができたには違いない。ふくふくして笑うと可愛く、笑っていない時は互いに緊張していた。私の子供に対する心象はこんなもんだ。

書くのもなんだと思うが、伺い見ると小学生の母とは思えぬ感じだった。おそらく大学生の子供がいる。こういうことを私の父に対して思う他人もいるのだろうな。計り知れず知らなくて良いこと。日高屋のレモンサワー特有の酔いがある、アルコール由来の酔いに特有を見出せると薬物じみてくるが確実にある。単純にウォッカだからと思う。回り切る前に百均でも見る、この日記を書き始めた時が一番怠かった。本を読む時頭で並べ連ねる時はノーコストなのに打ち込むとなるとなんでこんな大変なんだ。手のひらで書きつけられる(打ち付けられる?)手軽さよりかは面倒が勝る。フリックで疲れ始めたら終わりとも思う。喧騒と小蠅に慣れ始めた頃が退店どき。居座りすぎた。

 

20250424

こいつは何か苦労とかしたことあるんだろうか。しけた敷布団にだらんと転がりながらスマホを握ってゲヘゲヘ言ってる四肢ある芋虫に思う。枕元の小さなテーブルには薬のシートが内容物の有無を問わずカサカサと積み上がり、アルコールの類の殻も無数に放置されている。筆箱を探そうと布団の端を漁り、飲んでいた缶をビニール袋に押し込む習性は巣穴に住む類の生き物に似ている。そいつは時折正座の姿勢でスマホを眺め、ぼたぼたと涙を垂らしながら鼻をかみだしたりするので驚く。先まで歌っていたのに。ぐずついてまた眠る。部屋に明かりは無い、ヤマダで買ってきたベッドサイドランプを除いては。それはゴミを掻い潜って畳に直に触れている。そいつの頭を叩くと光量が変化する。
そいつが部屋から出る時、ないし外界に出る時どこかに信号が送られる。それはそれを監視する目的ではなく、結果としてそうなるように設置されている機器による。その後の足取りはそいつには追えない。
そいつが酒を飲む以外に楽しげにしているのを見ることは少ない、眠っているか自分の手首や頭を触って呆然としている。そいつのことを誰もよく知らない。力や毒などは無いことだけ、なんとなく知られている。そいつはエアガンでこめかみを貫いて笑ったりしている。暑い夜に斧の冷えた金属と肢を撫でて眠ったりする。そして酒が入ればそれらをそれの四肢とか手頃なタンスとかに打ちつけて笑う、母親の遺影は私にとってとうに景色で、畢竟全ては景色で、痛みと物質による刺激で変動する感覚だけが頼りで、切りつけた皮膚が代謝を繰り返してなお赤みを失わない傷跡が観察対象で、とりあえずは生きながらえている。

 

20250424

空想が苦手になったのはいつ頃からだったろう。ノウハウを知ることは大いに役立つ。骨組みがあれば、原典があれば、リサーチや参照元があれば、そうやって調べ学習にのめり込むうち無から何か描けと言われても描けない気がしてきた。内から湧くものといえば痛みや苦痛とか粘性の高い液状だったが、今は体の中に均等に血液が染みているだけ。たまにポロッと何か出る時、下を向いてそれが地面に落ちていくのを待つ。気が向いた時にはそれを指に乗せてみる。枕に振り落とす。
過剰な感情の苦しさから逃れられたことは生きていく上で非常に楽。
私に書けない文章読んだとき生まれる興奮と嫉妬、うれしい輝き。

 

20250209

悲観や感情のコントロールを失うことは途方もない辛さを伴うのに傍目には話の通じない加害者や甘えやへたれに見えることがあり辛い。私も服薬を絶てば途端に感情の手綱を握れなくなるので人ごとでない。なので服薬で手綱を握っていたい。
感情の波は個人的なものなのでそもそも他者と共有不能なのに気付くのに平均的な年数を私も費やした、時間と衝突が生んだ疲労による諦観を成長とは呼びたくない、でも今が一番家にいて辛くない。

 

20250209

最近鬱が重い。動悸や息切れ、焦燥感、筋肉の緊張による全身の痛みや食いしばり、そういう身体症状が主。これの一つ一つを不思議がって辛く思うのではなく鬱の症状だと気付けるようになった。1年掛けても2年掛けても結局鬱病が完治するということはなく、最近就職にあたりやっと障害者手帳の取得に着手した。決めたのが2024年10月とか11月で、実際動き出せたのは2025年の1月末とかかなり腰が重かった。もう何一つとしてすいすいこなせるようなことがない、一度の外出になんだかんだ三日の準備期間が掛かったりする。なんとかやっているの範疇をはみ出して久しい。
ただこう暗い日記を付けるのも鬱っぽいかも。楽しいことももちろんいくつもあり、そういうことは日記に付けてないだけ。浮き沈みを受け入れつつある。受容。

 

 

20260402

特定のネットを人生二週目的な気持ちよさが得られるみたいで、見てしまう。もう性格悪くて構わない、とりあえず刺激が欲しい。この人リアルで頼れる人なんて居なそうだなとか思ってる時まだ自分は踏み外してないなと思う。


人は人に優しくされて何とか生きているのだということに気付けない人間の暴れている様は、醜くも滑稽。いい見せ物。底の外れたコップが注いで注いでと泣き喚いている。注ぐ方も注ぐ方だ、満たないからコンテンツとして長く面白がれる。よくできた永久機関。人は壊れるし、それより先に飽きが来るので永久ではない。
さて、ネットを、辞めようかな。
嘘。辞められるわけがない。こんなに楽しいものを。

不在の海、20240101(能登半島地震)リアルタイムマジ日記

【補足】

この記事には能登半島地震、および津波についての言及など東日本大震災に関する内容が含まれます。これについて危険を感じられる場合は閲覧をお控え頂くようお願い致します。

 

公開時点ではこの点に関する注意喚起がタイトルや本文中に無く、配慮に欠けていました。公開に際して思い至れず申し訳ありません。

 

 

 

2024年1月に展示作品に付随する形で書き起こした文章と、能登半島地震の発生当時に石川県白山市で体験した状況を避難中にほぼリアルタイムで記録したものを並列に並べています。

 

私や家族、また家屋等にも被害は無く、私は被災当事者ではないということも書き記しておきます。

 

 

 

 

 

 

 

不在の海 20240101

 

石川県白山市の海は、大抵曇り空の下で荒んだ表情をしている。重い雲の色を映した海面に、目には見えない陸から流れ着いた大小様々な漂着物。砂。消波ブロック。
特に冬の間は吹き荒ぶ風も相まってより一層殺伐とした雰囲気を醸す。
午後3時から4時ころになると、空の色が変わり始める。雲がかったパステルの青にオレンジのようなピンクのような、サーモンの色合いが紛れる。陽が落ちるにつれて雲の陰影は増し、空の色は凝縮されたように濃くなっていく。
陽光は苛烈さを増し、視界が残像で埋め尽くされていく中それが落ちていく方向へ共に足を進める。そうすると、コンクリートと砂で出来た浜に出る。消波ブロックより先、太陽はこれまで見た中で一番赤く、眩しい。
その太陽に続く道のように海面に光が映っている。周辺はオレンジの光線に包まれる。何気なく手のひらを見る、皮膚が透かされているような気がする。ポッケから出た手に外は寒くすぐ仕舞った。

いつもの一月、いい元日の海だった。

​漂着物の中から手のひらに収まるようなものだけを拝借する。ふと海水も頂けないかと思う。一度自宅に戻り手頃な容器を探す。

フルーツ牛乳の瓶。それは父が先日銭湯からパクってきたもので、私はそれを咎めた。

私達はその後海に行かなかった。家族と一緒に海から遠ざかろうと車を走らせた。私達は直接その海を見たわけではない。ラジオから流れる音声、それからぼんやりとした水平線。見えないそれを避けているうちに太陽は沈み、そして牛乳瓶は空だった。

 

プップッ

強震モニタの音が閉じたデスクトップPCの隙間からした。ほぼ直後、緊急地震速報がテレビから鳴る。祖母の見ていたドラマの上にテロップ。リモコンをひったくる。NHKを付けるとコの字だった。
震度6強、と強震モニタが言った。
「ストーブ消して!」
東京者の私には灯油ストーブの消し方がわからぬ。叫ぶと祖母がすぐ止めてくれた。私はピアノの上の文鳥ケースを手に掴んだ。文鳥は驚いた。
珠洲では震度5弱、とNHKが言う。私たちの白山市(海激チカ)はしょうみほぼ揺れていなかった。津波の恐れがありますという表示を見、おっと思う。
程なくして津波の心配はありません。というアナウンスがあった。なんだやっぱり津波のあるなしってすぐ分かるんだなあ。凄いな。心配はないようだ。
一応ピアノから降ろした文鳥のケースを机に置く。
「よし行こうぜ」
父が言う。私がビーチコーミングの際海水をちょっと小瓶に入れて持ち帰りたくなり、その小瓶を取りに家に戻ってきたところだった。
「うん、一応ちょっと余震あるかもだから見て…」

NHKから警報が再度鳴った。
先程とは違う、地鳴りの気配がある。というか音がする。P波が洒落にならなさを伝えている。突き上げられるような衝撃と地面と家屋が揺さぶられる複合した大きな音。
「ひゃぁぁあ」
本気で怯えている人間が出す悲鳴を祖母が上げた。ピアノにしがみついている。ストーブを見ると蓋のない鍋に入ったお湯がちゃっぷんちゃっぷんしていた。溢れて敷物を濡らした。
文鳥ケースを再度抱えながら携帯でカメラを回す。同じようなことをしている父と撮り合いの姿勢になった。父の背後にあるデカいテレビが踊るお花みたいな感じに揺れている。揺れが大きく、そして長い。これは洒落にならないやつだ。東日本大震災の当時東京で感じた揺れと比較して思う。祖母は膝を突き、写真立ては全て倒れた。
津波、と思う。

津波警報が出ました!!」

NHKの一喝。どうする。平たい田舎、高台は無いに等しい。距離を取るしか無い。
「よし車で逃げるぞ、乗れー」
さっきまで何らか撮ってた父がノーモーションで居間から廊下にスッと出た。
「鍵持った!?あの、家じゃなくて、家はどうでも良いんだよ車の。車の!?」
「持った持った はよ」
文鳥を持って廊下に出る、祖母を急かす。玄関からワタワタ出つつ父が靴紐を結んでいないことに気付く。迅速だ。
車に乗り込む、素早くドアを閉め…と思ったら祖母がいない。家の玄関で何らかのジェスチャーをしている。少し待て、と言わんばかりの。
「遅すぎる…」
父が嘘だろの声を出した。
「早く!」
祖母は来ない。背中を向けている。なんか黄色い札的なものをドアノブに掛けようとしている
「遅い!!!!乗って!!!!どうでも良いでしょ家!!!!」
人にマジ恫喝するのは義務教育以来だったが割と威圧的な声出た。祖母はしょんぼりして車に乗った。かなり怖がっている。ごめんとはその時思わなかったけども。
隣の家から子供が五人ほどダッと出てきた。色とりどりのトレーナーを着、1人は白い犬を抱いている。彼らは一斉に駆け出した。避難場所のあるところ、海から遠いところを知っているようだった。避難訓練の成果の見せどきなのかもしれず、髪の長い女児は少し笑みを浮かべていた。
私たちは彼らを車で追い越した。乗せるべきかと思ったが、その土地に住んでいないと何が正解なのかわからなくてそのうち見えなくなった。
16:25
津波の到達は17:00とか聞こえた。

ラジオでニュースを聞いている、鬼気迫る声で女性アナウンサーが「絶対に戻らないで下さい、東日本大震災を思い出して下さい!」と繰り返していてそうだなと思う。
ラジオを背景に膝の上に文鳥を乗せている動画を撮影する。直後また大きな警報音が鳴った。

大津波警報です!!」

そしてしばらくラジオが消えた。そしてまたまとまって話し始めた。
津波の予想は5mらしい。5m。
5mか…
右行け右行けと海から遠ざかるうち中規模なイオンが現れた、屋上Pへ向かう。
祖母の手を引いてイオンのお手洗いを借りる。従業員さんたちが共同でお客さんを誘導し、ああこれも多分訓練してるんだなあと思った。ありがとうございました。

18:36
帰宅。津波警報は解除されていないが、第一派はもう到達し切ったと見做し電源と便所を求めて…
PCで情報収集。自宅の海抜が5mないこと、松任駅まで行けば20mあることなどを確認。

 

過敏果敢さんぽ

どこに居ても小虫が付き纏う、耳元を飛ばれると空を手で掻き回さないといけないので側から見えた時の異様さが気になる。
声の大きな小学生が遺跡周りを駆け回っている、私が公園で凝固している時、大抵子供はいる。

電車に乗るのを渋って散歩した。夏の気配が無視できないところまで来ている。それでもたまに吹く風はまだ冷気で、全身を包まれると家で横になっている時よりは呼吸が深く出来た。何か書きつけた方がいいと思って見えてる景色を色だけでメモした、仕上がりはそう良くはなかったけど手を動かしている間呼吸は楽になる。今はというと厳しい。精神衛生に良さそうなスポットに…と思って来たけど人の声と小虫ととストレッサーが家より普通に多かった。避難を…

立ち上がると子供が水風船を持っているのが見えた。手の上で横たわるピンク色の水風船。背を向けて足早に歩いた。次座れる地点まで脳内マップを広げたが、現実の道はずっと冗長に長かった。

ベローチェのアイスルイボスミントティーが好き。噛み締めた奥歯に気付いて力を抜くとこめかみからガコンという音が鳴った。諦めてデパスを一粒出す。どうしたら楽になれるんだろう、何を飲めば気持ちが変わるんだろう。答え→デパス
答えが出てしまって凄い、デパス効かなくなったらいよいよ本当に終わる… コンサータは依然飲んでいる。打ち消しあってるだろと思われそうだけどどちらも必要なんです。分からない。
比較的空いている席を選んだつもりだったけど、瞬く間に左右が占拠された。右隣の机でミールの出来上がりを知らせてくれるパニック防犯ブザーが赤く光っている。犬歯が削れる。左に座った女性二人組は各々が質量を持っていて、もちもちとした腕を上げ下げしているところが見えた。緊張する。
アルバイト先で長年勤めた先輩が退職するので送別会をやろう!となったのだが、それを進めてくれてた人がちょっとかなりまずい怪我を負ってしまい滅茶苦茶な無能の私もどうやら何とか動かないといけないぞという感じになっていた。お世話になったので頑張りたいけどプレゼントのこととか考えると足元が暗い穴になったような感じがした。私はプレゼントが下手すぎて返却されたことがある。

最近室内にいると暑いんだか寒いんだかよく分からない。カーディガンでも買おうかなと思う。多分ものすごい寒気に該当する感覚だとは思う。クーラーに過敏になっているのかもしれないと今壁際でクーラーの風を感じながら思った。デパス効いてきたかもしれない。
ここ数日胃痛と嘔吐と下痢が酷すぎてまともに食えないどころか水も飲めなくなっていた。昨日の晩くらいにかなり良くなったのを実感して嬉しくてお水をたくさん飲んだ!あと酷く疲れていてお酒を飲む元気も無くて、だからこそちゃんとお風呂にも入れた(髪は乾かせなかった)し、薬を飲まなくても寝付ける気がする!と思って布団に入ってみたけど無理だった。4:30にマイスリーを2錠飲んだ。暑いのか寒いのか分からない中布団の上でのたうち回って扇風機の風を顔面に受ける姿勢で眠った。現実でやらないといけないことを夢の中でスタンプラリーのようにやった。父親に寝顔を見られた。起きると何も残っていなかった。あんなに準備したのに……←夢オチ

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せちがらと言っておけば

 

バイト先のかつての先輩で明るく楽しいやつがいた。彼はおそらく自身の居ても立っても居られないという特性を理解して、それを受け入れて何なら愛しとてもうまく立ち回っていた。いい生き方だなあ〜と心底思った、そんな彼に最も軽蔑されて然るべき万物への諦めの姿勢を悟られまいと頑張りながら観察を続けていたけど、眩しくなって逃げた。彼を慕う後輩がバイト先にいて微笑ましい。幸せを求めて邁進する人たちには本当に幸せでいて欲しい。

また別タイプの人が入ってきた。変わってるね〜で周囲に浸透して行くかと思いきや、ちょっと流石に許容値というものをオーバーしつつあるらしく最近干されの気配がある。

何で言葉を選んでたかは分からないけど、まあ言ってしまうと前者の先輩はADHD、後者の後輩はASDの特性が本当にお手本のように出ている。お手本すぎて驚く。そして何より驚いたのが、定型の人達の生活にADHDとか ASDなんて概念は用いられないので彼らの行動や思考が「訳の分からないもの」として映る。そして話の通じなさや察しなさ、反省や自省のしなさに指導する立場の人は大きなストレスを感じる。
それらの構造を理解して見ていると、本当に心底消えてぇ〜という気持ちになる。何故ならADHD以上にASDは治しようが無いから。
ASDの人にストレスを感じさせられる定型の人は、割りを食わされているのだとこれまで思っていた。そして私は割りを食わせているのだとも思っている。だから本を読んで自分のコントロール方法やどうすれば人を不快にしないか、というのを学んだりしてみる。私はそれで良かったと思っている。
でも、人をいらいらさせてそれに気付かずヘラヘラしているように見えるASDの人は、それとは別の場所で神経をすり減らし難易度の高いマルチタスクに息も絶え絶えになりながらそこに立っている。
これまでは「先輩をすり減らすな……自省しろ……己を呪え……」とばかり思ってたんだけど、最近シフトが被る機会が多くなって彼もまた必死なんだよなと端々で感じるようになった。あと私も私を棚には上げられないし…(2人揃ってイレギュラーに対処できず先輩を酷い目に遭わせた前例アリ)
彼はよく本当に大きな溜息をつく。発声も伴うので、確かに耳に付くタイプの溜息だと思う。それを咎められるシーンがあった。多分呼吸が出来てなくて大きな深呼吸くらいの感じで、そこで声が出ちゃってるんだろうと思ったのでフォローしておいたがそれを指摘した人も同じ場所にいた。私はどう立ち回ったらいいんだろう。
だって、治らないんだもん、ASDって。
就労に当たって、己を呪えというメソッドと強迫観念を植えてあげるべきなんだろうか。でもそんなの、感じなくていいなら感じることなんてなくてもいいんじゃないか。

 

就労は難しい。アルバイトごときで、と思われるとは思うけど。そして皆大変なんだぞと言われると思うけど。それでも、やっぱりADHDASDが就労するというのには困難が伴うと思う。それでも…(泣いている)

日記2021〜2022

1007

 

 

見ていたでかい虫がこちらに飛来してきて驚きスマートフォンを取り落としてしまった。

私でも名前を聞いたことのある大学がいくつも建つこの街で、居るところがなくて一生懸命図書館を探して歩いたことがある。意外と図書館というのは乱立していないようで、見つけた小さなその図書館には自習スペースがなかった。

雨が降ってきた 居るところが無い 屋上にいる

この予備校には屋上があって嬉しい

この建物を予備校としてでなく、専門学校として人生のホームの一つに据える人も居る。専門学生としてこの屋上に座ったら、見える景色もそういうものになるだろうか。

幼馴染の専門学校にお邪魔してたばこ吸ったのを思い出す。広い屋上だった。学校はどこも寂れている。緑と赤茶けた部分の入り混じる地面や擦れたリノリウムとか、使われている材質の共通性が学校らしさの肝なのかも。ロストジャッジメントに出てくる高校の床のテクスチャが光を返す感じが本物ですごいと思った。

 

 

 

どこにいても、腰掛けているという感じがする。本格的に帰属できるコミュニティが私にあるわけでもないのに、半身だけそっと入れさせてもらっているような感覚でいる。それは多分無責任とかの性質に近い。小雨を無視して座っている。

キリンジをまた聴いてる、ちょうどよくしみる。大きな幸せとその後に必ず待っている代償、という観念が確立され私達を貫いていた2年半くらいがあったことを、友達の昔のブログを読み返して思い出した。大きな幸せがあったわけでもなく、そこそこデカ目の挫折を今年の3月に経験した。性懲りが無い訳ではなく、それ以外の進め方を検討するのが最早辛いので拠点だけ変えて去年をトレースしている。このままだとまた繰り返すかもしれない。せめて、なんらかの指示を出してもらえる日々をもう一度送ってみたい。一位とか、二位でもまたとってみたい。叶わないし本当はそれも枷でしかなかったりするので、早く何もない白い部屋に住みたい。

 


雨足が強まってきたので、退散する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


片目を瞑って、グラデーションを平面にしようとすることがある

微細な凹凸

 

 

 

あつくさむく、布団は温い 枕元を漁ると空のシートが音を立てる 文鳥が少しいびきをかいた 何かしようとして、知らない音で目を覚ますと覗き込まれていた 文鳥は起きていた

 


三面の空に囲われていたら、空がいつの間にか信号無しの青空になっていた

 

 

 

 

 

 

諦観の先ではっちゃけられるという筋書きもあるのかもしれない カットの細かさ、主観と定点の切り替わりに心地よさを感じる 

 

 

 

 


 


人の目が好き 強迫観念的に覗き込んでしまう

強いられているわけでないのでみんな逸らす

西日に照らされて瞳孔の露になったゼリー質の目が好きで、私は西日が露にするものが好きなのかもしれない

二元論から物質主義に祈りを掲げてやってきた人が好き 私と同じ苦しみ方をした人に興味を持つのは当然だと思う

置いていかれるまでは観測していたい 置いていきたくなるまでは観測してきたい

 

 

 

 


針がなめらかに動く時計の盤面に、あわとか小鳥の餌を敷き詰めた造形物を私は多分忘れない

発芽した文鳥のエサを見た時のやるせなさ、恥ずかしさ情けなさを超えて、全部諦めて世界を見ている人がいることが愛おしいと思った

枯山水、というワードがよく出る 日本人の感性なのだろうか

 


水面を見るのが好き モーリーファンタジーのたまに飴取れる機械見るのも好き

ビーズクッションの中身ではあんなふうには見えなかったと思う あれがあわであることにはすごく説得力があったと思う

私は作家にはなれない 私の世界はもう生活の愛おしさに閉じてしまった 自殺出来なかったのが運の尽きだと思う

 


私はここから下りるのかと思うとまた泣けてくるけど、そういうことの繰り返しではあるし

いつか死ぬ父親にもうちょっと楽しそうにしてもらえたら、今はそれでいいと思う

私より死んで欲しい人が今はいない

 


元交際相手から友人を通してコンタクトがあった 突っぱねた

私にとって彼はコントロールの成功してしまった唯一の他者だった 

 

 

 


お酒を飲むと友好的になれるから、前頭葉を切り落とすよりは建設的なあり方な気がする

お酒を飲むたび優しくありたいと言葉に残している 寂しい 一緒に死んでくれる人が欲しい それは無理なのだと知っている

 


ハマるタイミングは人それぞれ 自殺のタイミングも人それぞれ

 

 

 

 

 

 

 


生きてる実感の持てない人達がいる

 


私は割と生きてると実感している方で、夕日とかを見ていると逆にいつか訪れる死を感じる フラットの状態が生で、それらが全て感知できなくなる、体が失われると理解する瞬間がイレギュラーに訪れる

 


ただ、その死を自覚することで私は生を捉え直すことができる

 


私の腕には馬鹿丸出しの躊躇い傷が数えられないほどあって、採血の度に左腕を出すのを躊躇う。恥をかいたことも数知れない。でも、私は私が馬鹿でこれ以上恥を重ねる前に一人で死んだ方がいい存在だということを印として残すために付けた馬鹿の証なので、自傷したこと自体に悔いは無い。でもまあ、恥ずかしいのは恥ずかしい。普段は自殺とかしません、の顔で生きているから。自殺はいつかそのうち条件が揃ったらするけど、それ以前にはやるつもりない。

 

 

 

 

 

 

遺族は、綺麗な部分以外を葬儀において見ていないのかもしれない 死体の焼ける匂いを嗅いでいる葬儀屋がいるかもしれない

その葬儀屋は焼けた匂いの家族ではない

私は母の焼ける匂いを嗅いでいない 嗅いだ人はいるのだろうか

いっぱいに詰め込まれた骨壷の重みも忘れてしまった 雪の降らない日だった

 


私の日々の中で唯一ある儀式は水面と夕日を見ることだけ そこにいつか来る死を託すだけ

私死んでも、気付けないのに

 


虫と私は、私とあなたは根本的に感覚を共有しようがない 弔いは常に私のためにある あなたにとってのあなたのためにだけある 弔いの特性についてはそんなもんだと思う

生者とのコミュニケーションの醍醐味はレスがあることだと思う 死者に関してはそれが無い

 


どのみち他者は心の中でぬいぐるみになるしかない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白い服を着て、ボートか何かで沖に漕ぎ出す。その上でありったけの眠り薬を飲んで、端っこの方で意識を失えば上手くあの海で死ねるだろう。そんなことをずっと考えながら眠る2年間くらいがあった。その頃はまだ医者に眠り薬なんて処方してもらっていなくて、インターネットか何かで買うのだろうと思っていた。お酒を飲むという発想も無かった気がする。

眠りに落ちる前に何度も想像するその情景は、決まって第三者の視点から見たものだった。私の姿がどんどん遠ざかって、消えて、朝が来る。散歩でいつも歩いた道に光が差して草が揺れる。私の居なくなった部屋に差す光は暖かく柔らかく、静かで穏やかな時間が永遠に流れる。そんなことを想像していた。

そういう想像は時を経るごとに薄れ、実際に頭の先まで海に浸かる体験をしてからは完全に違うなとなった。自殺は一人称視点だ。大きな自然に刈り取ってもらおうと言えど、現地までは自分の足で向かう以上どうしたって一人称だ。そして、瞬間途切れた後には穏やかさを享受できるような間は無さそうだとも思う。それは感覚の変化でしかないけれど。

 


自殺しないなら、一人で小さな部屋に住みたいとずっと夢想している。だれも私を知らない町で、一人で白い小さな部屋に住む。どうしようもないような仕事をして何とか部屋を借り続けて、それに飽きたら改めて自殺なりをする。死んでからは訪れないであろう穏やかさを存分に享受して、満足してから自殺をする。そういう夢。心からの夢。あと、白い部屋にはストームグラスを飾りたい。それが叶ったらどんなに良いだろうと思う。

 

 

 

恋愛をかつて何度かしてみて、それが終わる度に酷い一人相撲をしてしまったと反省してきた。罪は消えないし嵩むばかりでどうしようもない。

別の何かに満たしてもらえなかったことを、他者に満たしてもらいたい。その為に自分がまずは手本のように献身を示す。あけすけに言えば私がしてきたのはそういうことで、ちょっと辛い目に遭ったばかりの子供同士の傷の舐め合いにはよくはまるスタイルだったのかもしれない。けれど子供は成長するもので、いつまでも私のままごとに付き合わせて相手を擦り減らしてしまった。そこで一度反省した。筈だったが、次は逆に私がそのロールプレイに身が入らなくなってしまって逃げ出した。向いていないというか、私は恋愛を今後してはいけないと思う。

 

 

 

何がつらいんだっけ、と思ったときどうしても中学生の頃を思い出す。良い歳してずっと義務教育時代の話をしてしまうのは情けないけれど、どうしてもあの頃から変わることのない軸みたいな辛さが一本通っているのでどうしようもない。色々なことが変わったけれど、その軸だけは変わってくれない。

私がつらいと思う事象は何もかも「要領の悪さ」という言葉に収束する。要領が悪いから勉強についていけない、集団行動ができない。出来ないと叱られる。叱られない為には勉強が出来ないといけない、要領が悪いから他の子が2日で出来ることに2週間掛けたりする。出来ないことを膨大な時間でカバーしていると当然に疲れる。その間に体を貫く不安が慢性化する。そして、膨大な時間でカバーできないような才能を求められる事象というものもある。そこでまた挫ける。何をしてても不安なのでアドリブや本番に極端に弱い、というか要領が悪いのでシンプル苦手。用意して用意して薬を飲んで、やっと人並み以下程度に出来ることが多すぎる。化けの皮が剥がれると見下されるし、そうなるともうただの虚栄心で頑張っているだけになる。

 


成人してようやく知能検査を受けてみて、自分のIQの「要領」を司る項目が相当低いことを知った。それに落ち込んだりはしなかったのだが、1年越しにそれが視覚情報の短期記憶に非常に関係するということを知った。

私はピンポイントに素描に向いていない人間だったらしかった。少しだけ泣いた。そんな中で絶対に助からないレースに2年間飛び込んで、最後には参考作品に取ってもらえるような絵を描けるようになった。それでも下手だったけど、楽しかった。

それと、その挫折があって描けなくなったのだと思っていた理由が薬を変えたことに由来しそうなことも辛かった。今の薬の方が高いし貰うのだって大変だった。今更戻したくない。ちゃんと効くし。でも素描には効いていないかもしれない。

 


父親が仕事の関係で適応障害っぽくなった。それを見ていると、もう降りたいと思った。辛い。もう苦しみたくない。早く楽になりたい。とりあえず、藁にもすがる思いというやつで推薦入試を受けてみることにした。受かると思えないけど、受からなかったらそのあとどうして良いかもうわからない。どうしよう。

素描を再開するにあたって薬をストラテラに戻して、赤本を買って、勉強を再開して、予備校はどうなるだろう。昼間部になるんだろうか。困る。それとも小論で受けようか。漢字をスッと書けないのは治りそうにないしそれは無理か。

お金を稼いで埋め合わせをしないといけない。いつかバレる。病院でいくら使ったっけ。私はいつまでこの家にいるんだろう。文鳥がいる。旅行に行った。この家にいてもいいなと思う時、友達とは会えなくなっている。友達と会うためにはこの家にはいられないと思う。私が大学に入る理由は就職を理由に一人暮らしを始めたいからだけど、それだって出来るんだろうか。誰か死ぬしかないんじゃないのか。

 


•父親が適応障害になり、鬱っぽい顔をしている 私を綺麗な不安障害に仕上げた父親にも傷付く精神があることを認めたくなかったけど、普通に可哀想

 


•挫折を認め諦めたが、今更先がまるで見えない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

友人1と友人2の前撮りを私が撮った 勉強ちゃんとしないとと思った 友人2とは高校入学以来(卒業以来ではなく)の対面だったがとてもいい人だった、マスク無いと辛い…と言ってて本当に辛いのだろうと想像できたけど、笑顔がとても可愛かった でも私にとって可愛くても本人には関係なくて、この感じはもっと膨大な言葉で表すのが適切かもしれない

友人1に泊めてもらってありがたかった 友人1はめちゃくちゃ有能な人なのに、何故か無能の私の面倒を見てくれていて(しかも優しい)マジで謎だが本当にありがたい ご飯代とか出してもらっちゃって、あとこの間の飲みでも1000円もらってたらしくて私ってマジでヒモ 働いて恩返ししたい…と思っているヒモに該当する言葉ってもうあるだろうか←バンドマン崩れ

 


高校入る前に会って以来の人と卒業後に会って、そういう体験が出来て「人生」を感じた 最近人生をよく感じる 20年生きたことで一冊書き切ったような感じがあって、それを読み返すように過去の出来事を参照することが増えてきた 経験から考える、の経験がようやっと一冊に達したから読めるようになった感じ この感覚がこの先より強くなることも想像した 大人になる、とはこういうことかもしれない しかしミスは治らない、治そうとしたいと思いたい

そんな折に幼馴染2に会った 小学校の同窓会の話のおかげで一度切れてしまった連絡手段を繋ぎ直すことができた 行くか迷った、2が行くなら行こうと思ってたと言ったら2も同じ状態だったらしい 久しぶり!同窓会行く?ってLINEをしようとしてやめたと話したら、この話題でLINEつながり直すの…と思って相手もやめたらしい 私たちはそういえば似ている 似ていないところもいっぱいある 久しぶりに話して気付いたが、幼馴染2は聞き役をやってくれていた 私はめちゃくちゃずっと喋っていた これを小学校から中学校までずーーーっとやっていたと思うと、いつかも言ったが「友達でいるのを辞めないでくれて本当にありがとう」と改めて思った それを言った時「友達って辞めるとかそういうもの?」と反応していたのを思い出し、思ったけど言わなかった

最近感謝のタームになってる気がする そのタームに入ってる人、を見ることはあったが自分にも来た 感謝がブームになる時ってある

中学の部活が辛かった話と、あれ以上下は無いと思って今は生きてるの話をした パワハラヤバ外部講師の夢をまだ見るらしい 部活で自尊心の全てを一度ゼロにする体験をした、と言ってて凄くわかりやすかった 自尊心をゼロにされたのは同じだけど、その原因を部活から細分化すると当然二人それぞれ違う そこから私の「要領の悪さ」の話をめちゃくちゃしてしまった ずーっと喋ってるのに聞いてくれてて本当に有りがた申し訳なかった

そういえば発達って確定してから2に会ってなくて、中学生当時は要領の話とかしてなかったから改めて当時のことを振り返りしゃべったりした 知能検査がターニングポイントだったと、自分で口にして改めてそうだったなと思った 父親の習性の話などもした ヤバおじ、という名付けをえらく気に入ってくれた ヤバおじと暮らしています、という漫画ありそうって言われた 多分もうある

幼馴染2の妹はプロセカが好きなオタクになってるらしい iPadで絵を描くとのことで、何か良すぎてニッコニコになった 辛い思いをしてほしくない 中学生のことを全員崖に立たされた人だと思っている自分に気付いて、認知歪んでるなーと思った 品川駅で口にした

 


高校でめっちゃ人を傷つけた話 吹奏楽部の音で無理になるやつ、私の場合ギターに置き換わった話 友達少ない話 幼馴染2は変わってない、と言ってた 女子大行くって決めてたらしい イルミネーションの見方を自分の力で獲得したin原宿 幼馴染2のトイレ男女分かれてる概念獲得、小2 放送委員会

 


怖いものありすぎて、怖いもの出し合いした 影金属パイプの動きでびっくりする ウツボこわい あとめっちゃ父親の話 10年かけて説得できないことを理解し、今は関係良くなりつつある…の話

サイゼではミスの話をした 聞いてもらえて本当に良かった ありがたい 幼馴染2も高校でお腹の音気になりすぎて何もできん問題を病院行って解決しようとしたらしい 偉い…と言った あと痔の話わすれてたのでした

私割と記憶抜けてきてる、どうしよう 思い出すべきか、でも辛いから忘れてもいい気がする しかしページが減っていくのはもったいない 病気にならない程度に残していきたい

また会えて良かった、最後に呼び止めて一緒に確認したら16キロ歩いていた また26日に会う

 

 

 

 

 

 

 


1216

 


学校に行かなくなって(入れなかったので)忘れていたけど、私は授業を受けている時とかに椅子からずり落ちるようにして眠ってしまうんだった。

中学生の頃は確か頑張って成績を上げたかっただけに一番辛く、日記にその眠気の様相を事細かに記していた気がする。残ってたかも。

 


残ってた。ノート取るのが苦手そうでもあった。

それにしても本当にマジで死ぬ程毎日眠かった。3時間目の終わりの号令の段階で座ったまま寝てて、4時間目が20分経った頃に椅子の上で目を覚ましたことがあった。最早誰も起こしてくれなかった、そっとしてやれの空気とかでもなく本当の意味で空気だった。ノート取れなくてよく面倒見てもらった子がいたっけ、ありがたかったな…。高校でも友人3に面倒を見てもらっていた。何で専属介護士が見つかるんだ。学校で介護士ポジにされてた人目線の文章を思い出してはウッとなる。すみません…コンサータを飲ませ、認知の歪みを直してやれば誰かの後を追尾しなくなると思います…(私は単にヤバ無能なだけで追尾タイプの子供ではなかったが)

 


眠気は眠気として、最近の困りもある。

コンサータを36mgにしてからご飯が楽しくなくなった。空腹にはなるが食べたくならない、口にすれば味はする。でも飲み込むのが億劫で麻婆豆腐に1時間かかったりする。別に元々ちょい太りの蓄えがあったので朝昼抜き続けたところで倒れたりはしないのだが、楽しくないのが結構辛い。

ちょい太りだったのはご飯やおやつが楽しかったからで、お腹すいてなくてもチマチマと何かを口にしていた。でコーヒーを飲んでいた。まあ体が筒状になってもデカい服着ればいいか…の気持ちでいたので心置きなくおやつを食べられていたのだが、日中常にちょっと走った後の身体感覚だと目の前におにぎりを差し出されてもよだれが出ない。悲しい。

コンサータが完全に抜けるまでには2日程度かかるみたいで、この間抜いてみたら普通におやつを食べたい気持ちになった。ご飯おやつ好きマインドそのものは健在らしいので安心した。翌日服薬したらしっかりお腹がすかなくなったので、やはり薬のせいだと思う。

大学が決まって、ふと現実を意識した時に(コンサもそれで白にした)延々と続く父との暮らしや自分が学校苦手だったこと、色んなことを思い出してバランスを崩している。今、左腕がめちゃくちゃな凹凸になっている。

ファンデーションテープを買うことにした、先延ばし続けて数年が経っていた。

同窓会のこともあって最近よく過去に思いを馳せる。主に小中のこと。高校はやや近すぎて苦しい。でも、中3と高1はグラデで精神構造も同一に思える。そんなもんとも思う。

忘れていた好きだった子のこと、何で話せなくなったかというと私の思い込みとうっかりミスでとんでもなく酷い悲しい思いをさせたからだったこと。そういうのを思い出して、それで倉橋ヨエコをずっと聴いていたのかと思ったりした。

忘れた自分を許せなくて苦しんでるのはずっと変わらないらしい。拾うための文章も残せなくなったらいよいよ断絶する、暇な時は書こうと思う。スクショもしておく。

スクショの堅牢性って面白い。スクショとGoogleフォトは凄いかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


12/29

 


中三の時、お母さん亡くなっちゃって。その時ずっと██のこと思い出してた。小三の時██もお母さん亡くしてたじゃん、すごく良いお母さんだったよね。俺も凄いお母さん好きだったから辛かった。母親死ぬの、辛くない?

 


文面に起こすと味気ないかもしれないけれど、物凄い切実さを伴った発話だった。そのように私には思えた。それでも彼はそれを乗り越えた様相で、この感じを大人になったと人は表現するのかもしれないと思った。大人になったと言われるために、必ず通過儀礼が必要な訳ではない。それでもそれに相当するような大きな事象に翻弄されて、心や世界に向き合った結果そのように見えることは嘘や幻ではなくあるのだと思った。

最低でクソガキだった過去は確かに消えずあるが、今日意識を持つ私達はそこからどの程度分断されどの程度変われずにいるのだろう。生まれ変わることなど出来やしない、性根を叩き直すことなど出来やしないと心の底から思っているけれど過去の自分は他人だとも定義している。

ただ、真っ直ぐに人に感謝を伝えたいと述べる彼を見て後ろ暗い過去をいつまでも抱え続けなくたって良いよと心から思った。

私の心の動きは彼とは本質的に何の関係もない。だからこれはただ私が希望をもらったというだけのことだけれど、そういう気になったということだけ。

 


変わったと思った私は何転かして変わってないと評された。ほんとは別人なんですよ、と思いつつもそう見えるなら本望だ、救いだとも思った。性根は変えられない、本質的には分かり合えない、感情を保持するのは難しい。線引きは必要だろうか、本能や思い付きでしか生きられなくてもいいと規定するそれは本能ではないだろう。スタンスの奴隷をやめるのは難しいが、その実スタンスの奴隷でい続けられるほど私の同一性は一貫していない。みんなどうやって生きているの、わからないから、まあ今幸せなら良いよと思う。思いたい。

お酒が好きで仕方ないなと、同窓会では思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


こんな容貌で、こんな何にもなれなさで、様になるわけなくて恥ずかしいのだけど、今思い出すだけで涙が出そうになるくらい人のことを好きになって幸せを祈った事が私にもあった。

今どうなりたいとかでなく、その切実さだけを憶えている。そのとき聴いていた曲を聴くとその切実さを条件反射のように思い出して苦しくなって泣いてしまう。こんな私にも、かつてそういうことがあった。

私なんか一瞬もたれる木でよくて、ちゃんと支え合える人と出会って幸せになってと心から思っていた。当時の私はちゃんとしていた。だから連絡は二度と取らなかった。

私は本当はそういう場所であるべきだと今でも思う。あれから間違え続けたと思う。静かに祈る以外のことをもうやりたくない。誰かと出会うことで生じる自分の幸せを願いたくない。早く白い何もない部屋に住みたい。家族みんな幸せに死んでいって欲しい。誰も残らないのを確認して一人で死にたい。生まれたことの償い方をそれ以外思いつけない。そういう人もいる、ということで。

 


めちゃくちゃ辛いけど泣くと後始末が怠いから泣けないということが増えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022 0301

 


発達障害の薬が高いので割引してもらう公的措置を受けることになった。医療費の自立支援というやつ。保健所で専用の診断書を貰って、医者に渡して一ヶ月後帰ってきたそれには「うつ病」「注意欠陥障害」と記載されていた。私ってうつ病なんですか?そんなことない気がする。かれこれもう5年以上精神科通院してるし度々抗うつ剤も出るけど、抗うつ剤を飲んでいるというだけで完璧ではないにせよ生活はできてるし。うつ病エアプからうつ病舐めプになった。診断書にうつ病って書いてあるだけであって私はうつ病じゃないです。

コンサータが効きすぎているのか時期の問題なのか、不安感が酷すぎる。父親はずっと怖いけど最近は特に怖く感じる。家に帰る前、家にいる時、適宜デパスを飲む人間になってしまった。私ってうつ病かもしれない。逆プラシーボになっている可能性は大いにある。ここの大学受験するときにも苦しんだのを思い出したけど、文章を打ったり定義を組み立ててそこからはみ出ず構成する能力が本当になくなっている。ADHD由来じゃなく鬱由来な感じがある。しかし締め切りは迫る。どうにか時間かけてやり遂げないといけない。何につけても以前より時間がかかるようになってきた、衝動だけではどうにもならないねというのをようやく学習したのかもしれない。

虫歯になったり顎関節がイカれたり歯軋りで奥歯を割ったり、お腹が痛すぎて狂ったりクッソやばい痔になって手術したりうつ病と言われたりと情けない疾患に事欠かない2年間か3年間くらいだった。そういえばポリープがあったので8月に胃カメラ内視鏡することになった。22歳で末期の大腸癌だったケースもあるしとのことで、私って8月に余命宣告受けるのかもしれない。こういうこともあるからというだけのニュアンスだとは思うけど、ちょっと死について真剣になったりした。こういうとき、家族はまず「死ぬわけないだろ」という反応をする。肺に影が映っていた、俺はもう死ぬんだと言う友達のお父さんの言葉が家族には冗談にしか聞こえなかった場面に立ち会ったことがある。まあそうか死ぬんだ悲しいなと秒で反応されても落ち込むだろうし、この一悶着は悲しいけど避けられないっぽい。それはそれとして、まあ死ぬことになったらGoogleのアカウントをいよいよ全部消さないといけなくて怠いなくらいしか懸念することが無かった。あとは、自分の死は自分に無関係なんだと久しぶりに思い出した。ここで離脱する身となったら、この先もある人達に無闇に恨みつらみなんか残していく必要ないよなと心底思った。私ってやさしいかもしれない。死ぬらしいわこれまで仲良くしてくれてありがとう、気に病ませるかもしれなくて申し訳ないけど幸せに暮らせよ〜くらいのノリでありたい。どのみち人は死ぬのでタイミングがわかったり猶予が貰える方が幾分ありがたい気がする。やっぱり朦朧な感じで自我がぼやけて消えていく最後が怖い。気づいたら死んでいるのも勿体無いので嫌。そういう感じ。誰だってそう。

そういえば不眠がひどくて、マイスリーを大事飲むようになってきた。嘘かも。戻ってこれると分かりながら意識を異常状態にするのは楽しい。昨日歌の動画を聴きながら寝たら脳内で言語思考はできるのに画面上のコメントが読めなくなった。文字が図像にしか見えなくて、意味を読み取れない。そういうもんか〜と思ってスマホを枕元に置いた。脳機能の一部が壊れた人の本を思い出した。「手記」を読むとこんなにも切実なのに当事者と自分にあまりにも隔たりがあることに気付いて愕然になる。体でもそうだし、そういえば時間でも私たちは断絶されている。時間とも死とも言える。推しが死人で辛い(ドフトエフスキー)の記事を思い出した。

生きている人間を推している。二人目なんだけど、Vなので実在と非実在の中間な感じがなんとも悩ましい。と思っていたけど、そういえば実在非実在生死問わず他人って全員他人にカテゴライズされるんだった、と思い出すことができたので事なきを得た。当人によって選択され表出しているものだけをありがたく享受しよう。人はそのようにしてしか人と関わり合っていくことはできないのよ。

苦労した人が今輝いているところを見て嬉しいなと思えるのが幸せ。いい時代に生まれた。苦労してる人を無条件で好きになってしまう、自分が辛いとやっぱりそうなるのか。僻んだり関われなかったり内心が見えなくてワーッ!となってしまうタイプでなくてよかった。これからも穏やかなオタクでいたい。ツイッター見てたら他のオタクに呑まれそうになって危なかった、私は私として咀嚼し受け入れありがたがっていくぞ、リアルタイム生存系のコンテンツは特に。でもインターネット文化遺産だったアカウントが消えてしまった時はどうにもやりきれない気持ちがあった、しかし表出されたものを受け入れていくだけなので…

思い出したけどあの友達と最近連絡とってない。それもまた、受け入れていくだけ… そういうときにシャワーを浴びて納得する習慣がある。なんとなく気付いた。

コンサータが効きすぎたり家に帰ってきて外部と父とのギャップで死にそうな時もシャワーを浴びると幾分落ち着く。でも寝っ転がって楽しいはずの動画見てるだけの時とか、嬉しいはずの出来事なのに刺激が強すぎて不安感に変換されちゃう時とかはおとなしく頓服飲んでおいておいた方が体に優しい気がしてきた。なんとなく憂鬱で悲しくてつらいとか怒りが抑えられないのも辛いけど、不安感はダイレクトに寿命に来ている感じがするので消せるなら消したい。

そういえば幼馴染3に会って逗子の海までドライブしてもらった。ステーキ宮でハンバーグを食べながら手の震え談義をした。幼馴染3は甲状腺の異常で不安障害のような症状が出ていて部活で困ったとのことだったが、自分の場合本当にただの不安障害でしかないので病院とか勧めてもらって申し訳なくなった。ごめんなさい弱すぎて手が震えているだけです。人前に立たず、ぶっつけ本番的なものに怯えることのない生活を手に入れて味噌汁の茶碗を持ち上げられるようになりたい。

見目が悪いのを気にしていたししているが、暇すぎて変な顔の自撮り動画を撮っていたら結構面白かったので落ち込みが軽減された。可愛くはなくともウケが狙える顔の構造をしているのは嬉しい。不細工を治そうとすると辛いが、愛嬌と楽しさだけでやっていかせてもらおうという気持ち。これまでトウモロコシ以外のモノマネのレパートリーが無かったけど、錯視でよくある同じ長さなのに長く見える方のモノマネを習得した。自分だけが気に入っていると思ったけど友達の一人がいたく気に入ってくれ嬉しかった。人に認められる経験、これだけでいいや… 髪を染めたら存外綺麗な緑色になって嬉しかった。どうせ抜けていく色なのにという気持ちになるので染髪に精神構造が向いていない、今日綺麗だったからいいかと思いたい。髪型もずっと同じがいい。いよいよ変化が億劫になってきた、ずっと同じ姿形でありたい。感覚的な断絶感からは逃れられないし太ったり痩せたりするけど、なるべくずっと同じでいたいという気持ち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


20221023

 


うちの学科の推薦は11月中に全部が遂行されるらしい。となるとポートフォリオを品川のベローチェで作ったりしながら延々西日の中を歩き続けたあの日々がちょうど一年前くらいのことになる。一年という感覚は特に無く、最近は出来事が並列に記憶の中で並んでいて半年前と昨日一昨日の区別が付かなくなってきている。自己が断絶され続けているという感覚から遠ざかったのかもしれないけど、相変わらず現実味はない。

今は昔よく行った公園にいる。日曜でどこも子供が多い。天を裂くような泣き声がまれに聴こえるがこれが日曜公園の平均的な日常なんだろう。10年前とも変わらないだろう缶コーヒーの味と秋の土の匂いをマスクを外して感じる。マスクをしていると匂いが感じられないので、ふと外した時に記憶の遠くに追いやられた季節の感覚が蘇る。前世の記憶を見ているくらいの新鮮さがある。

今の子供が歳を重ねてこの公園(等)でのノスタルジーに耽ろうとする時、匂いというトリガーが無いのは不思議な感じがする。感覚器官が一つ無いようなものじゃないか。顔が見えないとかより日々の匂いが無くなることの方が私には切実に重大な損失だったらしい。マスク外して土の匂いがするまで特に思い至りもしなかったけど。

バイト13時からかと思ったら17時からだった。散歩でもするかと思ったけどコンサータでざわざわした胸中で散歩って難しい。甘いコーヒーを舐めて生暖か涼しい空気の中で土とひとんちの柔軟剤の匂いを嗅いでいたら落ち着いたので久しぶりにメモを開いた。最後に書きつけてたの意味無し共通試験の点数計算だった。舐めすぎ。

 


大学入学以降くらいの覚書はDiscordの個人サーバーにぽつぽつあるけど読み返しにくい。それくらいでいいんだろうけど。文字を書くのが億劫になり続けている。大学入って授業が4つ目に差し掛かってるけど1つ目で頑張って以降落ちこぼれ続けている。blenderとか楽しいのでこれから挽回したい。

1つ目の授業で作品で殺害してやると思ってた人間と交流ができている。どうしたものかと思う。私ってこの先どうなるんだろう。働かなくても節制すればやってけそうな貯金はあるけど尊厳のためにちみちみバイトをしている。父には未だ伝えられずのらりくらりと逃げ続けている。ギリ健とギリ障の狭間で何も考えてない顔してさかむけをいじっているうちに秋が来ていた。

大叔父さんが亡くなった。私は癌体質なのがわかった。父は内視鏡して無問題だった。予備校の一つ下の子はまだ受験の只中に立っている。抗鬱剤が切れると脳が落下し続けるのを知った。寝ぼけると楽しいからという理由で全身刃物でちょっとずつ切っちゃう癖が出来てるのを知った。目が悪いので眼鏡をかけるようになった。友達は少ないけど面白い人たちだ。苦手な授業をギリギリで超えたのでこのまま乗り切りたい。勝手に背中押されたVtuberはどんどん活躍していく。人柄と年数が軌跡で残るので心に沁みる。消えない保証はないのでしっかり焼き付ける。バイト先の人たちは真っ当に偉い。卑屈にめげずにやってこうという気持ちがある。フラットにいたい気持ちは変わらない、震えて冷や汗が止まらないこともまだまだあるけど今は西日でも見ていようと思う。

 


コーヒーの最後をあおったら木の葉の間を遠く飛行機が過ぎて行った。

 

 

 

11/03

留年チキンレース再開したし苦手な人との約束を前日になって蹴ろうとしている。秋が来る。寒気がするが楽しくもありたい。暗い気持ちだけどマヨコーン軍艦食べた、バイトに出る。

 

 

 

 

 

 

 


展示みた

 


巨大なビル、人、音、鳩に接近する 振り向く さわる 足を使う、手がない 意を決してポリゴンを貫通する 空を見上げる 現実空間が灰色に表示されている(リアルタイム)自分のリュックが見えた

 


ミニマルにぐるぐるまわる、ドアが閉じられている あそこ貫通したらどうなってたんだろう ポリゴンを突き抜けるのはちょっと怖い、だいぶ怖い 体があるのがないのか分からないが視点と世界と壁はある Unityで作った自分の個展を思い出す 落ちる、というのは画面内でのみできる表現かも 

出来るならVRで落ちたい!!!!!!!!!!!!!!!!

落ちたい!!!!!!

ポリゴン突き抜けるのがあんなに怖かったんだから足踏み外すのすごいだろうな

 


あれは一つの空間を広大にする仕組みと指示がすごかったのではと思う 仕組みとして

 


一つ一つの作品見るべきだったかもだけど仕組みに脅かされてただウキウキで流し見ちゃった 電子書籍に少し似ている 媒体に翻弄される感じ

 


細く長く息をする、空気を気管に擦り付けるように リュックを抱いて丸くなる 首を限界まで埋める

 

 

 

12/13

 

二人で入るかもと思って買った傘は一人には長かった

物思いに耽ってるわけじゃなく、照れてるだけと言ってた時私は常に喋り出しを探して喉を渇かせていた いつか私も落ち着けるんだろうか 自分が落ち着きないと腑に落ちるの久しぶり
一人で喋り続けてるのは気が楽、真摯に聞いてくれてる人がいるのは怖い どうにかなりたい 逃げたいわけではない

キャラクター化できない人間性だと思う したくないけどできないのはやはり怖い
私も私の輪部を失う、喋りながら砂になるみたいだった 伏目と上目遣いの可愛さがとんでもないけど狂うので一度置いてしまった

人は変わるからな、とか手を握りながら「こういうまさかがある」と言ったりとか、地元のことを話したり、ガストでダウナーになった後ポケットに手を入れるやつが失敗して鳴いたり(鳴いていた)読めない 人って読めないんだ そうか なるほどね

 

 

抱き締めてもらえる内は抱きしめようと思う、手を握ってもらえる内は握ってようと思う
端端で泣きそうになった 理由は分からない 一人になってから少し泣く素振りをした 少し滲んで引いた

多分そういうんでいいんだと思う 喋りすぎるのは治らないけど片隅に置く

興味と好意のベクトルがこれまでと違ってどぎまぎしている(自分の)
似てない人を好きになるのは怖いけど、この人は手を握ったり抱き締めてくれる 時間かけてみる 好きだなと思う 好きなのに見合わないから泣いたのかもしれない 結末を決めない 人生は物語じゃない

 

1/14

 

私達は端端で似ている

 

 

 

 

6月

 

 

 

私はもう誰の手も握れなかった

 

それに向き合えなくてごめんなさい

 

 

 

 

 

 

ちゃんと一人で死にます

 

金縛りと熱い舌と

中学生の頃、ひどい頭痛で保健室にお世話になった日のことでした。

ベッドに横になり、唸りながらも眠りに落ちかけたころ、左の手首に温かいものが触れました。

何だろう?と思いながらも、うとうとしていたので目は開けず、その温かいものが私の手を包むように握ってくる感覚をぼうっと感じていました。

それは、どうやら誰かの手のようでした。

当時保健室を利用することはそう多くなかったので、ここの先生は手を握ったりしてくれるようだという風に結論付けました。体調不良で気持ちも弱っていたので、大人の優しさが沁みました。

 


左手に温もりを感じながらしばらく目を閉じていると、次は右手にも同じように温かな手が重なるのを感じました。あれっと思い目を開けると、何も見えませんでした。頭から布団を被っていたためでした。

両の手首に圧迫感を感じます。かたく掴まれて、ベッドの外側にゆっくりと引っ張られていきます。

いつの間にか、両足首も同じように掴まれていました。外へ外へと、四肢がゆっくりと着実に引っ張られていきます。このまま引っ張られ続けたらどうなるんだろう。脳裏に八つ裂きという言葉が浮かびました。

 


「誰か!誰か!!」

 


在らん限りの声量で叫んだつもりでしたが、誰かに届いた様子はありません。先に肘、次に膝が掛け布団の外にはみ出しました。喉が締まって声も出せなくなりました。

 


もしかして、この感触も含めて全部夢なんじゃないか?

ふとそう思いました。それなら全部辻褄が合います。

醒めろ、醒めろと念じながら声を振り絞ろうとしていると何かが脇腹に触れました。熱く濡れた何かで、それは次第に上の方にのぼってきました。多分、舌のようでした。

 


絶叫したつもりでしたが、実際には絞ったような高い声が少し出ただけでベッドから飛び起きました。あたりは静かで誰もおらず、手首にも特に跡などはありませんでした。

 


大人になった今、疲れた時などに金縛りや幻触に遭遇することはそう珍しいことではなくなりました。ただ、熱い舌のようなものに遭遇したのはあれきりです。

再掲 片手を挙げて

2021-01-12

染み付いていた筈の帰属意識がシールみたいに剥がれて冬の風に遠く飛ばされていくのを見た。

髪を押さえて目を上げると緑色の川の向こう、ガラスの校舎の中でぬいぐるみを握った私が勝気に笑っていた。

何がそんなに怖いのと。

体ごと離別してしまった私は、立ち入り禁止の屋上手前のリノリウムの冷たい床や、色の薄い素描室で、ずっとあのスカートを埃まみれにしている。

多分私はそのうち置いていかれてはまた拾われるだけの何かだ。

靴の裏の血も擦られては取れていく、そしていつか履き潰す。

 

その時々の私が立ち続けている。

 

 

台帳に書きつけた記録から見ると、滞在時間は三分だった。