メモの見出しをメモとする

メモなんだから

日記2021〜2022

1007

 

 

見ていたでかい虫がこちらに飛来してきて驚きスマートフォンを取り落としてしまった。

私でも名前を聞いたことのある大学がいくつも建つこの街で、居るところがなくて一生懸命図書館を探して歩いたことがある。意外と図書館というのは乱立していないようで、見つけた小さなその図書館には自習スペースがなかった。

雨が降ってきた 居るところが無い 屋上にいる

この予備校には屋上があって嬉しい

この建物を予備校としてでなく、専門学校として人生のホームの一つに据える人も居る。専門学生としてこの屋上に座ったら、見える景色もそういうものになるだろうか。

幼馴染の専門学校にお邪魔してたばこ吸ったのを思い出す。広い屋上だった。学校はどこも寂れている。緑と赤茶けた部分の入り混じる地面や擦れたリノリウムとか、使われている材質の共通性が学校らしさの肝なのかも。ロストジャッジメントに出てくる高校の床のテクスチャが光を返す感じが本物ですごいと思った。

 

 

 

どこにいても、腰掛けているという感じがする。本格的に帰属できるコミュニティが私にあるわけでもないのに、半身だけそっと入れさせてもらっているような感覚でいる。それは多分無責任とかの性質に近い。小雨を無視して座っている。

キリンジをまた聴いてる、ちょうどよくしみる。大きな幸せとその後に必ず待っている代償、という観念が確立され私達を貫いていた2年半くらいがあったことを、友達の昔のブログを読み返して思い出した。大きな幸せがあったわけでもなく、そこそこデカ目の挫折を今年の3月に経験した。性懲りが無い訳ではなく、それ以外の進め方を検討するのが最早辛いので拠点だけ変えて去年をトレースしている。このままだとまた繰り返すかもしれない。せめて、なんらかの指示を出してもらえる日々をもう一度送ってみたい。一位とか、二位でもまたとってみたい。叶わないし本当はそれも枷でしかなかったりするので、早く何もない白い部屋に住みたい。

 


雨足が強まってきたので、退散する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


片目を瞑って、グラデーションを平面にしようとすることがある

微細な凹凸

 

 

 

あつくさむく、布団は温い 枕元を漁ると空のシートが音を立てる 文鳥が少しいびきをかいた 何かしようとして、知らない音で目を覚ますと覗き込まれていた 文鳥は起きていた

 


三面の空に囲われていたら、空がいつの間にか信号無しの青空になっていた

 

 

 

 

 

 

諦観の先ではっちゃけられるという筋書きもあるのかもしれない カットの細かさ、主観と定点の切り替わりに心地よさを感じる 

 

 

 

 


 


人の目が好き 強迫観念的に覗き込んでしまう

強いられているわけでないのでみんな逸らす

西日に照らされて瞳孔の露になったゼリー質の目が好きで、私は西日が露にするものが好きなのかもしれない

二元論から物質主義に祈りを掲げてやってきた人が好き 私と同じ苦しみ方をした人に興味を持つのは当然だと思う

置いていかれるまでは観測していたい 置いていきたくなるまでは観測してきたい

 

 

 

 


針がなめらかに動く時計の盤面に、あわとか小鳥の餌を敷き詰めた造形物を私は多分忘れない

発芽した文鳥のエサを見た時のやるせなさ、恥ずかしさ情けなさを超えて、全部諦めて世界を見ている人がいることが愛おしいと思った

枯山水、というワードがよく出る 日本人の感性なのだろうか

 


水面を見るのが好き モーリーファンタジーのたまに飴取れる機械見るのも好き

ビーズクッションの中身ではあんなふうには見えなかったと思う あれがあわであることにはすごく説得力があったと思う

私は作家にはなれない 私の世界はもう生活の愛おしさに閉じてしまった 自殺出来なかったのが運の尽きだと思う

 


私はここから下りるのかと思うとまた泣けてくるけど、そういうことの繰り返しではあるし

いつか死ぬ父親にもうちょっと楽しそうにしてもらえたら、今はそれでいいと思う

私より死んで欲しい人が今はいない

 


元交際相手から友人を通してコンタクトがあった 突っぱねた

私にとって彼はコントロールの成功してしまった唯一の他者だった 

 

 

 


お酒を飲むと友好的になれるから、前頭葉を切り落とすよりは建設的なあり方な気がする

お酒を飲むたび優しくありたいと言葉に残している 寂しい 一緒に死んでくれる人が欲しい それは無理なのだと知っている

 


ハマるタイミングは人それぞれ 自殺のタイミングも人それぞれ

 

 

 

 

 

 

 


生きてる実感の持てない人達がいる

 


私は割と生きてると実感している方で、夕日とかを見ていると逆にいつか訪れる死を感じる フラットの状態が生で、それらが全て感知できなくなる、体が失われると理解する瞬間がイレギュラーに訪れる

 


ただ、その死を自覚することで私は生を捉え直すことができる

 


私の腕には馬鹿丸出しの躊躇い傷が数えられないほどあって、採血の度に左腕を出すのを躊躇う。恥をかいたことも数知れない。でも、私は私が馬鹿でこれ以上恥を重ねる前に一人で死んだ方がいい存在だということを印として残すために付けた馬鹿の証なので、自傷したこと自体に悔いは無い。でもまあ、恥ずかしいのは恥ずかしい。普段は自殺とかしません、の顔で生きているから。自殺はいつかそのうち条件が揃ったらするけど、それ以前にはやるつもりない。

 

 

 

 

 

 

遺族は、綺麗な部分以外を葬儀において見ていないのかもしれない 死体の焼ける匂いを嗅いでいる葬儀屋がいるかもしれない

その葬儀屋は焼けた匂いの家族ではない

私は母の焼ける匂いを嗅いでいない 嗅いだ人はいるのだろうか

いっぱいに詰め込まれた骨壷の重みも忘れてしまった 雪の降らない日だった

 


私の日々の中で唯一ある儀式は水面と夕日を見ることだけ そこにいつか来る死を託すだけ

私死んでも、気付けないのに

 


虫と私は、私とあなたは根本的に感覚を共有しようがない 弔いは常に私のためにある あなたにとってのあなたのためにだけある 弔いの特性についてはそんなもんだと思う

生者とのコミュニケーションの醍醐味はレスがあることだと思う 死者に関してはそれが無い

 


どのみち他者は心の中でぬいぐるみになるしかない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白い服を着て、ボートか何かで沖に漕ぎ出す。その上でありったけの眠り薬を飲んで、端っこの方で意識を失えば上手くあの海で死ねるだろう。そんなことをずっと考えながら眠る2年間くらいがあった。その頃はまだ医者に眠り薬なんて処方してもらっていなくて、インターネットか何かで買うのだろうと思っていた。お酒を飲むという発想も無かった気がする。

眠りに落ちる前に何度も想像するその情景は、決まって第三者の視点から見たものだった。私の姿がどんどん遠ざかって、消えて、朝が来る。散歩でいつも歩いた道に光が差して草が揺れる。私の居なくなった部屋に差す光は暖かく柔らかく、静かで穏やかな時間が永遠に流れる。そんなことを想像していた。

そういう想像は時を経るごとに薄れ、実際に頭の先まで海に浸かる体験をしてからは完全に違うなとなった。自殺は一人称視点だ。大きな自然に刈り取ってもらおうと言えど、現地までは自分の足で向かう以上どうしたって一人称だ。そして、瞬間途切れた後には穏やかさを享受できるような間は無さそうだとも思う。それは感覚の変化でしかないけれど。

 


自殺しないなら、一人で小さな部屋に住みたいとずっと夢想している。だれも私を知らない町で、一人で白い小さな部屋に住む。どうしようもないような仕事をして何とか部屋を借り続けて、それに飽きたら改めて自殺なりをする。死んでからは訪れないであろう穏やかさを存分に享受して、満足してから自殺をする。そういう夢。心からの夢。あと、白い部屋にはストームグラスを飾りたい。それが叶ったらどんなに良いだろうと思う。

 

 

 

恋愛をかつて何度かしてみて、それが終わる度に酷い一人相撲をしてしまったと反省してきた。罪は消えないし嵩むばかりでどうしようもない。

別の何かに満たしてもらえなかったことを、他者に満たしてもらいたい。その為に自分がまずは手本のように献身を示す。あけすけに言えば私がしてきたのはそういうことで、ちょっと辛い目に遭ったばかりの子供同士の傷の舐め合いにはよくはまるスタイルだったのかもしれない。けれど子供は成長するもので、いつまでも私のままごとに付き合わせて相手を擦り減らしてしまった。そこで一度反省した。筈だったが、次は逆に私がそのロールプレイに身が入らなくなってしまって逃げ出した。向いていないというか、私は恋愛を今後してはいけないと思う。

 

 

 

何がつらいんだっけ、と思ったときどうしても中学生の頃を思い出す。良い歳してずっと義務教育時代の話をしてしまうのは情けないけれど、どうしてもあの頃から変わることのない軸みたいな辛さが一本通っているのでどうしようもない。色々なことが変わったけれど、その軸だけは変わってくれない。

私がつらいと思う事象は何もかも「要領の悪さ」という言葉に収束する。要領が悪いから勉強についていけない、集団行動ができない。出来ないと叱られる。叱られない為には勉強が出来ないといけない、要領が悪いから他の子が2日で出来ることに2週間掛けたりする。出来ないことを膨大な時間でカバーしていると当然に疲れる。その間に体を貫く不安が慢性化する。そして、膨大な時間でカバーできないような才能を求められる事象というものもある。そこでまた挫ける。何をしてても不安なのでアドリブや本番に極端に弱い、というか要領が悪いのでシンプル苦手。用意して用意して薬を飲んで、やっと人並み以下程度に出来ることが多すぎる。化けの皮が剥がれると見下されるし、そうなるともうただの虚栄心で頑張っているだけになる。

 


成人してようやく知能検査を受けてみて、自分のIQの「要領」を司る項目が相当低いことを知った。それに落ち込んだりはしなかったのだが、1年越しにそれが視覚情報の短期記憶に非常に関係するということを知った。

私はピンポイントに素描に向いていない人間だったらしかった。少しだけ泣いた。そんな中で絶対に助からないレースに2年間飛び込んで、最後には参考作品に取ってもらえるような絵を描けるようになった。それでも下手だったけど、楽しかった。

それと、その挫折があって描けなくなったのだと思っていた理由が薬を変えたことに由来しそうなことも辛かった。今の薬の方が高いし貰うのだって大変だった。今更戻したくない。ちゃんと効くし。でも素描には効いていないかもしれない。

 


父親が仕事の関係で適応障害っぽくなった。それを見ていると、もう降りたいと思った。辛い。もう苦しみたくない。早く楽になりたい。とりあえず、藁にもすがる思いというやつで推薦入試を受けてみることにした。受かると思えないけど、受からなかったらそのあとどうして良いかもうわからない。どうしよう。

素描を再開するにあたって薬をストラテラに戻して、赤本を買って、勉強を再開して、予備校はどうなるだろう。昼間部になるんだろうか。困る。それとも小論で受けようか。漢字をスッと書けないのは治りそうにないしそれは無理か。

お金を稼いで埋め合わせをしないといけない。いつかバレる。病院でいくら使ったっけ。私はいつまでこの家にいるんだろう。文鳥がいる。旅行に行った。この家にいてもいいなと思う時、友達とは会えなくなっている。友達と会うためにはこの家にはいられないと思う。私が大学に入る理由は就職を理由に一人暮らしを始めたいからだけど、それだって出来るんだろうか。誰か死ぬしかないんじゃないのか。

 


•父親が適応障害になり、鬱っぽい顔をしている 私を綺麗な不安障害に仕上げた父親にも傷付く精神があることを認めたくなかったけど、普通に可哀想

 


•挫折を認め諦めたが、今更先がまるで見えない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

友人1と友人2の前撮りを私が撮った 勉強ちゃんとしないとと思った 友人2とは高校入学以来(卒業以来ではなく)の対面だったがとてもいい人だった、マスク無いと辛い…と言ってて本当に辛いのだろうと想像できたけど、笑顔がとても可愛かった でも私にとって可愛くても本人には関係なくて、この感じはもっと膨大な言葉で表すのが適切かもしれない

友人1に泊めてもらってありがたかった 友人1はめちゃくちゃ有能な人なのに、何故か無能の私の面倒を見てくれていて(しかも優しい)マジで謎だが本当にありがたい ご飯代とか出してもらっちゃって、あとこの間の飲みでも1000円もらってたらしくて私ってマジでヒモ 働いて恩返ししたい…と思っているヒモに該当する言葉ってもうあるだろうか←バンドマン崩れ

 


高校入る前に会って以来の人と卒業後に会って、そういう体験が出来て「人生」を感じた 最近人生をよく感じる 20年生きたことで一冊書き切ったような感じがあって、それを読み返すように過去の出来事を参照することが増えてきた 経験から考える、の経験がようやっと一冊に達したから読めるようになった感じ この感覚がこの先より強くなることも想像した 大人になる、とはこういうことかもしれない しかしミスは治らない、治そうとしたいと思いたい

そんな折に幼馴染2に会った 小学校の同窓会の話のおかげで一度切れてしまった連絡手段を繋ぎ直すことができた 行くか迷った、2が行くなら行こうと思ってたと言ったら2も同じ状態だったらしい 久しぶり!同窓会行く?ってLINEをしようとしてやめたと話したら、この話題でLINEつながり直すの…と思って相手もやめたらしい 私たちはそういえば似ている 似ていないところもいっぱいある 久しぶりに話して気付いたが、幼馴染2は聞き役をやってくれていた 私はめちゃくちゃずっと喋っていた これを小学校から中学校までずーーーっとやっていたと思うと、いつかも言ったが「友達でいるのを辞めないでくれて本当にありがとう」と改めて思った それを言った時「友達って辞めるとかそういうもの?」と反応していたのを思い出し、思ったけど言わなかった

最近感謝のタームになってる気がする そのタームに入ってる人、を見ることはあったが自分にも来た 感謝がブームになる時ってある

中学の部活が辛かった話と、あれ以上下は無いと思って今は生きてるの話をした パワハラヤバ外部講師の夢をまだ見るらしい 部活で自尊心の全てを一度ゼロにする体験をした、と言ってて凄くわかりやすかった 自尊心をゼロにされたのは同じだけど、その原因を部活から細分化すると当然二人それぞれ違う そこから私の「要領の悪さ」の話をめちゃくちゃしてしまった ずーっと喋ってるのに聞いてくれてて本当に有りがた申し訳なかった

そういえば発達って確定してから2に会ってなくて、中学生当時は要領の話とかしてなかったから改めて当時のことを振り返りしゃべったりした 知能検査がターニングポイントだったと、自分で口にして改めてそうだったなと思った 父親の習性の話などもした ヤバおじ、という名付けをえらく気に入ってくれた ヤバおじと暮らしています、という漫画ありそうって言われた 多分もうある

幼馴染2の妹はプロセカが好きなオタクになってるらしい iPadで絵を描くとのことで、何か良すぎてニッコニコになった 辛い思いをしてほしくない 中学生のことを全員崖に立たされた人だと思っている自分に気付いて、認知歪んでるなーと思った 品川駅で口にした

 


高校でめっちゃ人を傷つけた話 吹奏楽部の音で無理になるやつ、私の場合ギターに置き換わった話 友達少ない話 幼馴染2は変わってない、と言ってた 女子大行くって決めてたらしい イルミネーションの見方を自分の力で獲得したin原宿 幼馴染2のトイレ男女分かれてる概念獲得、小2 放送委員会

 


怖いものありすぎて、怖いもの出し合いした 影金属パイプの動きでびっくりする ウツボこわい あとめっちゃ父親の話 10年かけて説得できないことを理解し、今は関係良くなりつつある…の話

サイゼではミスの話をした 聞いてもらえて本当に良かった ありがたい 幼馴染2も高校でお腹の音気になりすぎて何もできん問題を病院行って解決しようとしたらしい 偉い…と言った あと痔の話わすれてたのでした

私割と記憶抜けてきてる、どうしよう 思い出すべきか、でも辛いから忘れてもいい気がする しかしページが減っていくのはもったいない 病気にならない程度に残していきたい

また会えて良かった、最後に呼び止めて一緒に確認したら16キロ歩いていた また26日に会う

 

 

 

 

 

 

 


1216

 


学校に行かなくなって(入れなかったので)忘れていたけど、私は授業を受けている時とかに椅子からずり落ちるようにして眠ってしまうんだった。

中学生の頃は確か頑張って成績を上げたかっただけに一番辛く、日記にその眠気の様相を事細かに記していた気がする。残ってたかも。

 


残ってた。ノート取るのが苦手そうでもあった。

それにしても本当にマジで死ぬ程毎日眠かった。3時間目の終わりの号令の段階で座ったまま寝てて、4時間目が20分経った頃に椅子の上で目を覚ましたことがあった。最早誰も起こしてくれなかった、そっとしてやれの空気とかでもなく本当の意味で空気だった。ノート取れなくてよく面倒見てもらった子がいたっけ、ありがたかったな…。高校でも友人3に面倒を見てもらっていた。何で専属介護士が見つかるんだ。学校で介護士ポジにされてた人目線の文章を思い出してはウッとなる。すみません…コンサータを飲ませ、認知の歪みを直してやれば誰かの後を追尾しなくなると思います…(私は単にヤバ無能なだけで追尾タイプの子供ではなかったが)

 


眠気は眠気として、最近の困りもある。

コンサータを36mgにしてからご飯が楽しくなくなった。空腹にはなるが食べたくならない、口にすれば味はする。でも飲み込むのが億劫で麻婆豆腐に1時間かかったりする。別に元々ちょい太りの蓄えがあったので朝昼抜き続けたところで倒れたりはしないのだが、楽しくないのが結構辛い。

ちょい太りだったのはご飯やおやつが楽しかったからで、お腹すいてなくてもチマチマと何かを口にしていた。でコーヒーを飲んでいた。まあ体が筒状になってもデカい服着ればいいか…の気持ちでいたので心置きなくおやつを食べられていたのだが、日中常にちょっと走った後の身体感覚だと目の前におにぎりを差し出されてもよだれが出ない。悲しい。

コンサータが完全に抜けるまでには2日程度かかるみたいで、この間抜いてみたら普通におやつを食べたい気持ちになった。ご飯おやつ好きマインドそのものは健在らしいので安心した。翌日服薬したらしっかりお腹がすかなくなったので、やはり薬のせいだと思う。

大学が決まって、ふと現実を意識した時に(コンサもそれで白にした)延々と続く父との暮らしや自分が学校苦手だったこと、色んなことを思い出してバランスを崩している。今、左腕がめちゃくちゃな凹凸になっている。

ファンデーションテープを買うことにした、先延ばし続けて数年が経っていた。

同窓会のこともあって最近よく過去に思いを馳せる。主に小中のこと。高校はやや近すぎて苦しい。でも、中3と高1はグラデで精神構造も同一に思える。そんなもんとも思う。

忘れていた好きだった子のこと、何で話せなくなったかというと私の思い込みとうっかりミスでとんでもなく酷い悲しい思いをさせたからだったこと。そういうのを思い出して、それで倉橋ヨエコをずっと聴いていたのかと思ったりした。

忘れた自分を許せなくて苦しんでるのはずっと変わらないらしい。拾うための文章も残せなくなったらいよいよ断絶する、暇な時は書こうと思う。スクショもしておく。

スクショの堅牢性って面白い。スクショとGoogleフォトは凄いかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


12/29

 


中三の時、お母さん亡くなっちゃって。その時ずっと██のこと思い出してた。小三の時██もお母さん亡くしてたじゃん、すごく良いお母さんだったよね。俺も凄いお母さん好きだったから辛かった。母親死ぬの、辛くない?

 


文面に起こすと味気ないかもしれないけれど、物凄い切実さを伴った発話だった。そのように私には思えた。それでも彼はそれを乗り越えた様相で、この感じを大人になったと人は表現するのかもしれないと思った。大人になったと言われるために、必ず通過儀礼が必要な訳ではない。それでもそれに相当するような大きな事象に翻弄されて、心や世界に向き合った結果そのように見えることは嘘や幻ではなくあるのだと思った。

最低でクソガキだった過去は確かに消えずあるが、今日意識を持つ私達はそこからどの程度分断されどの程度変われずにいるのだろう。生まれ変わることなど出来やしない、性根を叩き直すことなど出来やしないと心の底から思っているけれど過去の自分は他人だとも定義している。

ただ、真っ直ぐに人に感謝を伝えたいと述べる彼を見て後ろ暗い過去をいつまでも抱え続けなくたって良いよと心から思った。

私の心の動きは彼とは本質的に何の関係もない。だからこれはただ私が希望をもらったというだけのことだけれど、そういう気になったということだけ。

 


変わったと思った私は何転かして変わってないと評された。ほんとは別人なんですよ、と思いつつもそう見えるなら本望だ、救いだとも思った。性根は変えられない、本質的には分かり合えない、感情を保持するのは難しい。線引きは必要だろうか、本能や思い付きでしか生きられなくてもいいと規定するそれは本能ではないだろう。スタンスの奴隷をやめるのは難しいが、その実スタンスの奴隷でい続けられるほど私の同一性は一貫していない。みんなどうやって生きているの、わからないから、まあ今幸せなら良いよと思う。思いたい。

お酒が好きで仕方ないなと、同窓会では思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


こんな容貌で、こんな何にもなれなさで、様になるわけなくて恥ずかしいのだけど、今思い出すだけで涙が出そうになるくらい人のことを好きになって幸せを祈った事が私にもあった。

今どうなりたいとかでなく、その切実さだけを憶えている。そのとき聴いていた曲を聴くとその切実さを条件反射のように思い出して苦しくなって泣いてしまう。こんな私にも、かつてそういうことがあった。

私なんか一瞬もたれる木でよくて、ちゃんと支え合える人と出会って幸せになってと心から思っていた。当時の私はちゃんとしていた。だから連絡は二度と取らなかった。

私は本当はそういう場所であるべきだと今でも思う。あれから間違え続けたと思う。静かに祈る以外のことをもうやりたくない。誰かと出会うことで生じる自分の幸せを願いたくない。早く白い何もない部屋に住みたい。家族みんな幸せに死んでいって欲しい。誰も残らないのを確認して一人で死にたい。生まれたことの償い方をそれ以外思いつけない。そういう人もいる、ということで。

 


めちゃくちゃ辛いけど泣くと後始末が怠いから泣けないということが増えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022 0301

 


発達障害の薬が高いので割引してもらう公的措置を受けることになった。医療費の自立支援というやつ。保健所で専用の診断書を貰って、医者に渡して一ヶ月後帰ってきたそれには「うつ病」「注意欠陥障害」と記載されていた。私ってうつ病なんですか?そんなことない気がする。かれこれもう5年以上精神科通院してるし度々抗うつ剤も出るけど、抗うつ剤を飲んでいるというだけで完璧ではないにせよ生活はできてるし。うつ病エアプからうつ病舐めプになった。診断書にうつ病って書いてあるだけであって私はうつ病じゃないです。

コンサータが効きすぎているのか時期の問題なのか、不安感が酷すぎる。父親はずっと怖いけど最近は特に怖く感じる。家に帰る前、家にいる時、適宜デパスを飲む人間になってしまった。私ってうつ病かもしれない。逆プラシーボになっている可能性は大いにある。ここの大学受験するときにも苦しんだのを思い出したけど、文章を打ったり定義を組み立ててそこからはみ出ず構成する能力が本当になくなっている。ADHD由来じゃなく鬱由来な感じがある。しかし締め切りは迫る。どうにか時間かけてやり遂げないといけない。何につけても以前より時間がかかるようになってきた、衝動だけではどうにもならないねというのをようやく学習したのかもしれない。

虫歯になったり顎関節がイカれたり歯軋りで奥歯を割ったり、お腹が痛すぎて狂ったりクッソやばい痔になって手術したりうつ病と言われたりと情けない疾患に事欠かない2年間か3年間くらいだった。そういえばポリープがあったので8月に胃カメラ内視鏡することになった。22歳で末期の大腸癌だったケースもあるしとのことで、私って8月に余命宣告受けるのかもしれない。こういうこともあるからというだけのニュアンスだとは思うけど、ちょっと死について真剣になったりした。こういうとき、家族はまず「死ぬわけないだろ」という反応をする。肺に影が映っていた、俺はもう死ぬんだと言う友達のお父さんの言葉が家族には冗談にしか聞こえなかった場面に立ち会ったことがある。まあそうか死ぬんだ悲しいなと秒で反応されても落ち込むだろうし、この一悶着は悲しいけど避けられないっぽい。それはそれとして、まあ死ぬことになったらGoogleのアカウントをいよいよ全部消さないといけなくて怠いなくらいしか懸念することが無かった。あとは、自分の死は自分に無関係なんだと久しぶりに思い出した。ここで離脱する身となったら、この先もある人達に無闇に恨みつらみなんか残していく必要ないよなと心底思った。私ってやさしいかもしれない。死ぬらしいわこれまで仲良くしてくれてありがとう、気に病ませるかもしれなくて申し訳ないけど幸せに暮らせよ〜くらいのノリでありたい。どのみち人は死ぬのでタイミングがわかったり猶予が貰える方が幾分ありがたい気がする。やっぱり朦朧な感じで自我がぼやけて消えていく最後が怖い。気づいたら死んでいるのも勿体無いので嫌。そういう感じ。誰だってそう。

そういえば不眠がひどくて、マイスリーを大事飲むようになってきた。嘘かも。戻ってこれると分かりながら意識を異常状態にするのは楽しい。昨日歌の動画を聴きながら寝たら脳内で言語思考はできるのに画面上のコメントが読めなくなった。文字が図像にしか見えなくて、意味を読み取れない。そういうもんか〜と思ってスマホを枕元に置いた。脳機能の一部が壊れた人の本を思い出した。「手記」を読むとこんなにも切実なのに当事者と自分にあまりにも隔たりがあることに気付いて愕然になる。体でもそうだし、そういえば時間でも私たちは断絶されている。時間とも死とも言える。推しが死人で辛い(ドフトエフスキー)の記事を思い出した。

生きている人間を推している。二人目なんだけど、Vなので実在と非実在の中間な感じがなんとも悩ましい。と思っていたけど、そういえば実在非実在生死問わず他人って全員他人にカテゴライズされるんだった、と思い出すことができたので事なきを得た。当人によって選択され表出しているものだけをありがたく享受しよう。人はそのようにしてしか人と関わり合っていくことはできないのよ。

苦労した人が今輝いているところを見て嬉しいなと思えるのが幸せ。いい時代に生まれた。苦労してる人を無条件で好きになってしまう、自分が辛いとやっぱりそうなるのか。僻んだり関われなかったり内心が見えなくてワーッ!となってしまうタイプでなくてよかった。これからも穏やかなオタクでいたい。ツイッター見てたら他のオタクに呑まれそうになって危なかった、私は私として咀嚼し受け入れありがたがっていくぞ、リアルタイム生存系のコンテンツは特に。でもインターネット文化遺産だったアカウントが消えてしまった時はどうにもやりきれない気持ちがあった、しかし表出されたものを受け入れていくだけなので…

思い出したけどあの友達と最近連絡とってない。それもまた、受け入れていくだけ… そういうときにシャワーを浴びて納得する習慣がある。なんとなく気付いた。

コンサータが効きすぎたり家に帰ってきて外部と父とのギャップで死にそうな時もシャワーを浴びると幾分落ち着く。でも寝っ転がって楽しいはずの動画見てるだけの時とか、嬉しいはずの出来事なのに刺激が強すぎて不安感に変換されちゃう時とかはおとなしく頓服飲んでおいておいた方が体に優しい気がしてきた。なんとなく憂鬱で悲しくてつらいとか怒りが抑えられないのも辛いけど、不安感はダイレクトに寿命に来ている感じがするので消せるなら消したい。

そういえば幼馴染3に会って逗子の海までドライブしてもらった。ステーキ宮でハンバーグを食べながら手の震え談義をした。幼馴染3は甲状腺の異常で不安障害のような症状が出ていて部活で困ったとのことだったが、自分の場合本当にただの不安障害でしかないので病院とか勧めてもらって申し訳なくなった。ごめんなさい弱すぎて手が震えているだけです。人前に立たず、ぶっつけ本番的なものに怯えることのない生活を手に入れて味噌汁の茶碗を持ち上げられるようになりたい。

見目が悪いのを気にしていたししているが、暇すぎて変な顔の自撮り動画を撮っていたら結構面白かったので落ち込みが軽減された。可愛くはなくともウケが狙える顔の構造をしているのは嬉しい。不細工を治そうとすると辛いが、愛嬌と楽しさだけでやっていかせてもらおうという気持ち。これまでトウモロコシ以外のモノマネのレパートリーが無かったけど、錯視でよくある同じ長さなのに長く見える方のモノマネを習得した。自分だけが気に入っていると思ったけど友達の一人がいたく気に入ってくれ嬉しかった。人に認められる経験、これだけでいいや… 髪を染めたら存外綺麗な緑色になって嬉しかった。どうせ抜けていく色なのにという気持ちになるので染髪に精神構造が向いていない、今日綺麗だったからいいかと思いたい。髪型もずっと同じがいい。いよいよ変化が億劫になってきた、ずっと同じ姿形でありたい。感覚的な断絶感からは逃れられないし太ったり痩せたりするけど、なるべくずっと同じでいたいという気持ち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


20221023

 


うちの学科の推薦は11月中に全部が遂行されるらしい。となるとポートフォリオを品川のベローチェで作ったりしながら延々西日の中を歩き続けたあの日々がちょうど一年前くらいのことになる。一年という感覚は特に無く、最近は出来事が並列に記憶の中で並んでいて半年前と昨日一昨日の区別が付かなくなってきている。自己が断絶され続けているという感覚から遠ざかったのかもしれないけど、相変わらず現実味はない。

今は昔よく行った公園にいる。日曜でどこも子供が多い。天を裂くような泣き声がまれに聴こえるがこれが日曜公園の平均的な日常なんだろう。10年前とも変わらないだろう缶コーヒーの味と秋の土の匂いをマスクを外して感じる。マスクをしていると匂いが感じられないので、ふと外した時に記憶の遠くに追いやられた季節の感覚が蘇る。前世の記憶を見ているくらいの新鮮さがある。

今の子供が歳を重ねてこの公園(等)でのノスタルジーに耽ろうとする時、匂いというトリガーが無いのは不思議な感じがする。感覚器官が一つ無いようなものじゃないか。顔が見えないとかより日々の匂いが無くなることの方が私には切実に重大な損失だったらしい。マスク外して土の匂いがするまで特に思い至りもしなかったけど。

バイト13時からかと思ったら17時からだった。散歩でもするかと思ったけどコンサータでざわざわした胸中で散歩って難しい。甘いコーヒーを舐めて生暖か涼しい空気の中で土とひとんちの柔軟剤の匂いを嗅いでいたら落ち着いたので久しぶりにメモを開いた。最後に書きつけてたの意味無し共通試験の点数計算だった。舐めすぎ。

 


大学入学以降くらいの覚書はDiscordの個人サーバーにぽつぽつあるけど読み返しにくい。それくらいでいいんだろうけど。文字を書くのが億劫になり続けている。大学入って授業が4つ目に差し掛かってるけど1つ目で頑張って以降落ちこぼれ続けている。blenderとか楽しいのでこれから挽回したい。

1つ目の授業で作品で殺害してやると思ってた人間と交流ができている。どうしたものかと思う。私ってこの先どうなるんだろう。働かなくても節制すればやってけそうな貯金はあるけど尊厳のためにちみちみバイトをしている。父には未だ伝えられずのらりくらりと逃げ続けている。ギリ健とギリ障の狭間で何も考えてない顔してさかむけをいじっているうちに秋が来ていた。

大叔父さんが亡くなった。私は癌体質なのがわかった。父は内視鏡して無問題だった。予備校の一つ下の子はまだ受験の只中に立っている。抗鬱剤が切れると脳が落下し続けるのを知った。寝ぼけると楽しいからという理由で全身刃物でちょっとずつ切っちゃう癖が出来てるのを知った。目が悪いので眼鏡をかけるようになった。友達は少ないけど面白い人たちだ。苦手な授業をギリギリで超えたのでこのまま乗り切りたい。勝手に背中押されたVtuberはどんどん活躍していく。人柄と年数が軌跡で残るので心に沁みる。消えない保証はないのでしっかり焼き付ける。バイト先の人たちは真っ当に偉い。卑屈にめげずにやってこうという気持ちがある。フラットにいたい気持ちは変わらない、震えて冷や汗が止まらないこともまだまだあるけど今は西日でも見ていようと思う。

 


コーヒーの最後をあおったら木の葉の間を遠く飛行機が過ぎて行った。

 

 

 

11/03

留年チキンレース再開したし苦手な人との約束を前日になって蹴ろうとしている。秋が来る。寒気がするが楽しくもありたい。暗い気持ちだけどマヨコーン軍艦食べた、バイトに出る。

 

 

 

 

 

 

 


展示みた

 


巨大なビル、人、音、鳩に接近する 振り向く さわる 足を使う、手がない 意を決してポリゴンを貫通する 空を見上げる 現実空間が灰色に表示されている(リアルタイム)自分のリュックが見えた

 


ミニマルにぐるぐるまわる、ドアが閉じられている あそこ貫通したらどうなってたんだろう ポリゴンを突き抜けるのはちょっと怖い、だいぶ怖い 体があるのがないのか分からないが視点と世界と壁はある Unityで作った自分の個展を思い出す 落ちる、というのは画面内でのみできる表現かも 

出来るならVRで落ちたい!!!!!!!!!!!!!!!!

落ちたい!!!!!!

ポリゴン突き抜けるのがあんなに怖かったんだから足踏み外すのすごいだろうな

 


あれは一つの空間を広大にする仕組みと指示がすごかったのではと思う 仕組みとして

 


一つ一つの作品見るべきだったかもだけど仕組みに脅かされてただウキウキで流し見ちゃった 電子書籍に少し似ている 媒体に翻弄される感じ

 


細く長く息をする、空気を気管に擦り付けるように リュックを抱いて丸くなる 首を限界まで埋める

 

 

 

12/13

 

二人で入るかもと思って買った傘は一人には長かった

物思いに耽ってるわけじゃなく、照れてるだけと言ってた時私は常に喋り出しを探して喉を渇かせていた いつか私も落ち着けるんだろうか 自分が落ち着きないと腑に落ちるの久しぶり
一人で喋り続けてるのは気が楽、真摯に聞いてくれてる人がいるのは怖い どうにかなりたい 逃げたいわけではない

キャラクター化できない人間性だと思う したくないけどできないのはやはり怖い
私も私の輪部を失う、喋りながら砂になるみたいだった 伏目と上目遣いの可愛さがとんでもないけど狂うので一度置いてしまった

人は変わるからな、とか手を握りながら「こういうまさかがある」と言ったりとか、地元のことを話したり、ガストでダウナーになった後ポケットに手を入れるやつが失敗して鳴いたり(鳴いていた)読めない 人って読めないんだ そうか なるほどね

 

 

抱き締めてもらえる内は抱きしめようと思う、手を握ってもらえる内は握ってようと思う
端端で泣きそうになった 理由は分からない 一人になってから少し泣く素振りをした 少し滲んで引いた

多分そういうんでいいんだと思う 喋りすぎるのは治らないけど片隅に置く

興味と好意のベクトルがこれまでと違ってどぎまぎしている(自分の)
似てない人を好きになるのは怖いけど、この人は手を握ったり抱き締めてくれる 時間かけてみる 好きだなと思う 好きなのに見合わないから泣いたのかもしれない 結末を決めない 人生は物語じゃない

 

1/14

 

私達は端端で似ている

 

 

 

 

6月

 

 

 

私はもう誰の手も握れなかった

 

それに向き合えなくてごめんなさい

 

 

 

 

 

 

ちゃんと一人で死にます