メモの見出しをメモとする

メモなんだから

命日のケーキ誕生日のパン 夏の効果と重ね合わせの勘違い

この間冷蔵庫を開けた時、口を開けた二枚貝の中にミチミチにクリームが詰まったようなパンが二つ入っていた。よく見ていなかったので名前は忘れたけど、個包装の菓子パンみたいなカジュアル目の風体だった。多分近所の西友で買ってきたんだろうなと思いながらとりあえず放っておいた。

夕食後に父がコーヒーを淹れ始めたのであのパン食べるのかなと思って見ると皿の上に一つ載せていた。母にあげるのだと思った。横目で見ていると不意に「誰かの誕生日にはケーキ的なものを食べていいことになっている」と口にしたので、そういえばそうかと思った。一月にケーキを食べたので忘れていた、一月は母の命日があったから。

 

結局その菓子パンにも父の誕生日に買ったモンブランにも手をつけられなくて余らせて冷凍庫に追いやった。燃やしてやるべきか。

 

クライオニクスの浅ましさが凄くて嫌だ。大人しく死ねと思う。枯れない花が美しいかと言われたらそれは別に美しいと思うし、死が人間を人間たらしめるとかいう風に思っているわけでもないけれど。ただ、死なないといけないのは確かだから、それはちゃんとしてほしい。誕生日おめでとう、退場もおめでとう。二極を行き来するような形の生まれと死であるかは分からないけど、ぽっと表出してしまった自分がここに立っている事を思いながら、仕舞われていった無数の人の事を考える。

体と意識が別物かもしれないと、夏になると思ってしまう。